僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

大人はモラルの低下に厳しく立ち向かえ 〜今の子供が未来の主役〜

ほぼ単一民族である日本に、共有されているはずの常識、倫理観が欠け始めている。それを指摘してあげるべき年上世代に、そうすることの積極性が感じられないのは、マニュアルに縛られた「思考停止」が常態化していることと、大いに関係があるはずだ。

 

アメリカを悪い例に出したい訳じゃないが、文化的背景が大きく異なる人たちが共同で暮らそうとすると、しっかりと明文化された基準・規範が必要になってくる。「マニュアル」を武器に世界進出を果たしたマクドナルドが、多民族国家アメリカ発であったことは、ある意味それを象徴することであり、強烈な印象を残した。

 

決して深いところで通じ合っている訳ではない人たちとも「チーム」を組んで、すべき事をそつなくこなすのも可能になってしまう。管理する側が「束ねて動かそう」と意図した時には、結構強力なツールとなり得る。

 

しかし、「弊害」と呼んで良いかは別にして、マイナス面だって当然ある。

 

必要最小限のことが出来たら、それでいい。それ以上は、出来るに越したことはないが、出来なくてもいい。

 

そういった思考に陥る可能性は高まるはずだ。

 

人間形成、人材育成こそが社会の使命

企業は営利目的の上に成り立っている。その企業が社会の構成要素の重要部分を占めている事を考える時、そこに更に「人材育成」という大きな柱も備えておくべきは、当然と考える。

 

例えば、うちの職場…。

 

18歳のアルバイト女性が、体調不良を理由に2日間欠勤した。人間なんだし、どんなに注意しても風邪くらい引く。僕も、這ってでも出て来いとまでは言わないし、その点では仕方ない。

 

しかし、回復後出てきたその彼女、「病院には行かなかった」と言う。理由は「動けなかった」…。

 

たとえ未成年であろうと、女だろうとアルバイトだろうと、職場の仲間である。ちゃんとした信頼関係を築きたい、と僕は思っている。そうでないと良い仕事は出来ない。

 

病院に行けば少しでも早く治るはず、なんて考えてる訳じゃない。でも、「こうして少しでも早く治そうと努めています。こんな診断をいただきました」という表明が欲しいのだ。バカらしいパフォーマンスに過ぎないか?そんなことはない。苦しんでいるであろう彼女の分も、今日1日頑張ろうという気持ちは、より硬くなるはずだ。良いチームとは、そういうものだ。仲良し集団であればいい、というモンじゃない。

 

この後彼女がどんな業種に進むにしても、そこで社会人として最低限の振る舞いが出来るよう、現時点の彼女に関わる大人たちは、常に配慮を求められている。それが責任だ。

 

ところが、彼女の直属の上司。その点については完全スルーした模様。無断欠勤でもあるまいし、問題ないと言えば確かにない。

 

色濃く漂う、「これくらいでいいや」という空気感。彼女の成長を願って、しっかりと育てていかないと、という使命感の欠如。

 

そうしてやがて失われていく活力。次第に忍び寄る閉塞感。イライラが募り始める。場が荒れる…。

 

良い環境が醸し出される訳がない。厳しさの中にこそ信頼感が生まれることを、強く次世代にも伝え受ける必要を感じる。

 

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こんな時代だからこそ、強いリーダーシップが求められるのかどうかは分からない。けれど、人に温かそうな組織に目を引かれてしまうのは、そこに明白な理由を感じるからであろう。

 

人との関係を深く考え尽くすことが、社会基盤を成すことに繋がると、大きく言えばそこまで考えておられるのでは?と感じる、尊敬すべき組織が少なからずあることに安堵する。

 

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