小豆島高校陸上部が有終の美を飾りました 〜高校駅伝観戦レポート〜
それを前に、再び全国にその存在を強く知らしめた、小豆島高校陸上部。昨年末の全国高校駅伝に男女アベック出場を果たした上に、期待以上の好成績でフィニッシュしてくれた。
「小豆島」で繋がる人たち
僕は、男女のレースとも烏丸通で見ていた。女子コースで言えば折り返し点付近。男子はまだ、序盤だ。
前年まで、ずっと〝定位置〟西大路通りで見ていたが、今年は気分を変えてみた。
どこで見ていようと、変わらないことがある。「小豆島」のエンジのジャンパーを着た人が、何かと目に付くのだ。
学校が無くなってしまうこの年に、初のアベック出場。盛り上がらないはずがない。それにしても、多い。
小豆島の暖かさをそのままに
幸いなことに、今回の大会は暖かかった。最後だからと、島から応援に駆け付けたお年寄りも多かったろう。その点では、非常に良かった。
天候が祝福してくれたようだ。
僕は、男子の往路のランナーが通り過ぎたところで、西京極へ移動した。
優勝校にも勝ってるよ
競技場に着くと、小豆島高校大応援団がすぐに見えた。
何校かはブランスバンドの演奏や、チアリーダーの演技を披露していたが、小豆島高校にそんなものは見当たらない。オッちゃんやオバちゃんしか居ないじゃないか。
同窓会なのか、県人会なのか、敬老会なのか、お祭りなのか、そんなのをミックスした盛り上がりで、ゴールする前からソワソワした空気に包まれていた。
この段階で、男子の20番台はほぼ確定していた。快挙だ。
レース後には、競技場正面で、選手・関係者を取り囲んでの「即席慰労会」が始まった。優勝したの?って感じの騒ぎで、部外者には理解できなかったかも知れない。
人のつながりは技術を超える
技術は大切だが、それを存分に発揮するためには、人のつながりが大切なのだ。
小豆島が持つこの絆は、必ずや新しい小豆島中央高校にも引き継がれるだろう。そこに暮らす子供達の心にも、深く浸み込んでいくに違いない。今だからこそ大きな可能性を持つ小豆島の、これからの確実な発展は揺るがないと思っている。
働き方は人それぞれでいい 〜自分を押し通すことが幸せへの最短距離〜
働き方を考える
もう、このことについて考え始めると、イライラするわ、悲しくなるわで、絶望的気分だ。
一つの職場に、何時から何時まで拘束されて、給料は月〇〇万円。そんな就労形態が、時代にそぐわなくなってきているのは、誰にでも分かる。
時間で縛られる単純作業も、たとえ高度であっても知識のみで事足りる士業も、付加価値がないとすべてAIに取って代わられる。そんな世の中は、すぐ目の前だ。
「時短が進む、嬉しい」なんて単純に言っている場合ではない。そこでも生き抜いていくだけの、これまでとは違うブランド力が自分には備わっているだろうか?いきなり、雇用関係に大変革が起きては、〝半フリー〟状態がいたたまれなく不安な方も出るはずだ。
自分にあった働き方
僕は、「被雇用者」という立場に、疲れている。日々の大半がルーティンワークで埋め尽くされることに、激しい違和感がある。
そもそも、同じ職場になぜいつも居ないといけないのか?したい仕事はいっぱいある。
朝は此処でこれをして、昼からはあっちで別の仕事をする、でも不都合はないじゃないか。
あるとしたら、制度がそれに対応できていないからだ。
国をあげて「働き方改革」を唱えても、制度的後押しがないままでは、個人の裁量まかせの域を出ない。
こちらが良いからこちらにせよ、という話ではなく、そんなことこそ自由に選択しようよ、と言いたいのだ。働くことは、個人の一番根幹を成すものだから。
働き方パイオニアになるぞ
いつまでも「息苦しい」とだけ言っていても、何も始まらない。
こうなったら、「変な生き方してる人いるよ」と言ってもらえるくらいになる方を目指す。
健康保険も、厚生年金も、糞食らえ!こんなもん、大企業賞賛思想の具現システムじゃないか!
以前も書いたが、朝から夕方まで拘束されていないと、定職に就いていないと見なされてしまうなんて、バカげている。子供を保育園に入れられない。
怖いものはまだある。けれど、進まないと事は起きない。今が、〝産みの苦しみ〟なのだ。
そっと胸に手を当てる。何やら、淀んだものを感じる人は多いだろう。そこをどんどん削っていって、最後には完全に無くしてしまう。
その時、僕は、どこまでも純粋な自分自身に近付けるのだ。
働き方の形が重要なのではない。自分の内面を、どこまでも激しくほとばしらせることが、幸せを呼ぶのだ。
瀬戸内国際芸術祭の次回開催を強く望む 〜潮耳荘で五感を研ぎ澄ます〜
瀬戸内国際芸術祭2016(せとげい)が終わって、早2ヶ月以上がたった。
撤去されてしまった作品も多いが、そのまま残されて今も鑑賞できるものもある。
そんな中のひとつ、小豆島は三都半島、神浦(こうのうら)の潮耳荘をご紹介。
いつもあるのは波の音
小豆島オリーブバス三都線の終点「神浦西」から、さらに先へ進もう。すぐに海辺に異様な形の建物が見えてくる。
フタコブラクダの背中のようなドームが大きく鎮座する。かなりの存在感だ。
海側にまわってみると、そのコブから象のハナようにパイプがうねり出ていて、先は大きなラッパのように広がっている。全体を赤く塗られたハナは、砂浜へ向けて何かを放出しそうな勢いだ。
しかし、実際はそれとは逆で、こいつは言わば「集音器。」
砂浜へ打ち寄せる波の音を拾って、ドームの中へ導き響かせる。
決して大きな音ではない。瀬戸内の波は大抵穏やかだ。放っておいても勝手に耳に入る音ではない。よく聞けばそこにある音、それでも確実に耳に、胸に刻まれた音なのだ。
音と光の融合だったのか
ドームは、よく見ると廃材で出来ている。たぶん取り壊した建物の柱を組んだものだ。それは完全に隙間なく組まれたものではなく、中から見上げると、たくさんの筋になって光が漏れる。
小豆島は、波の音、色とりどりの光、が折り重なって出来ている。なるほど、そんな意味を含んでいるのか?妙に納得できた。
他にも、海に入った時の水の感触、夏の暑さ、草木、潮、醤油の香り。五感が刺激されまくりだ。
そのあたりが、脳の〝リラックスホルモン〟かなにか、そんな感じのものに作用するのかも知れない。根拠はないけど、多分間違いない。
芸術に触れる機会をこれからも
地元のオッちゃんやオバちゃんの正直な言葉として、「作品がよう分からんネン」というのが多かったのも事実だ。観光客が増えるのは、まあ嬉しいが、肝心の作品は理解不能だと…。
でも、芸術なんてそれでいい、と僕は思う。
評論家になるわけじゃないのだから、感じるままに感じればいいだけのことだ。面白いと思えるものは、面白い。何とも感じないのなら、そのままスルー。
池田のふるさと村に今でも展示されているはずの「花寿波島の秘密」は、「潮耳荘」の制作者の一人である康夏奈さんの作品だそうだ。以前「花寿波島…」の方も拝見したが、僕はこんな風に、作品にボリューム感があって、説明なしでも「なるほど」って思えるものの方が受け入れやすい。
そのへんは人それぞれだが、何れにしても、日常とは少し離れた刺激はどんどん受けた方がいいし、そんな機会がまた訪れることを願っている。
願いつつ、またガイドブックを引っ張り出しては眺めたりしている。まだ残っている作品巡りでも、ブラッと行ってみようか。
まるで遺跡巡りよろしく…。
自転車のチェーンの弛みを調整した 〜即交換はモッタイナイ〜
普段使いの自転車が不調に陥った。1年半ほど前に、中古で買ったものだ。
今度は自分でメンテ
症状は以前と同じだ。漕いだ時にチェーンがカラカラ鳴る。自転車屋さんに持って行ったら、間違いなく「チェーンが伸びているので交換です」と言われるだろう。
しかし、交換後1年半しか経っていないし、錆びているわけでもない。自分で出来るだろうか?直してみることにした。
原因は分かった
音が出る原因はすぐ分かった。緩んだチェーンが、チェーンカバーに当たっているのだ。だから、自転車が進んでいてもチェーンが回らない、空走状態では鳴らない。
後ろのホイールの位置を調整して、グッと後ろにテンションをかけるようにする。それだけでチェーンが〝ピンっ〟と張るので、音はしなくなるはずだ。
切れてしまわない限り、この方法で限界まで引っ張って凌ぐことはできる。走れるかどうかだけを見れば、特に問題なさそうにも見えるが、そうでもないらしいので、ほどほどに…。
ちょっと特殊な工具が要ります
チェーンとカバーとの隙間が狭すぎる。もともとこんなに狭いのかな?カバーに傷がついて、少し曲がっているようにも見えるので、新車時よりも狭くなったのかも知れない。それとも、チェーンが伸びたら当たって音がするように、最初からそう設計されているのか?
後輪の車軸のナットは15ミリ。ホームセンターなどには問題なく置いてあるが、出回る数は少ないものらしい。因みに、前輪はごく一般的な14ミリ。付け加えると、ペダルレンチもちょっと特殊な15ミリ。
まずは、これを緩めていく。
錆びもあって、かなり固い。潤滑剤を浸透させても、ちょっと難儀した。
左右とも緩めると、チェーンがダルダルに弛んだ。
後輪を後ろに引くのは、そのすぐ隣、後ろ向きに伸びるロッドを、ナットで締めることで調整する。大きさは、10ミリ。
張りすぎないように
チェーンの弛み具合を見ながら、微調整。いっぱいに張ったところから、少しだけ緩めて、この位置で仮固定。次は左へ。
僕の自転車の場合、左にはスタンドが付いているので、このナットが回しにくい。通常のレンチではなく、ナットドライバーがあると便利。
でも、この為だけに買うのもなぁ…。四苦八苦しながら何とかクリア。
この左右の引っ張り具合に差があると、後輪が進行方向に対して斜めに固定されてしまうので、要注意。
オートバイなら目盛りが付いていて、ロッドの長さを比べながら調整できるが、そんなものはなさそう。そこで、ホイールとフレームの隙間の左右差を見ながら、微調整した。指を挟むと、とても分かりやすかった。
意外に簡単でした
あとは、最初に緩めた車軸のナットをしっかり締めて固定。これで完了。
全く問題なく、スムーズに無音で走るようになった。
次にまた同じ症状が出た時は、チェーン交換も仕方ないが、今回は簡単メンテの経験が積めて、これはなかなか楽しかった。
記事を書く上での反省
メンテナンス前の写真を撮り忘れたので、チェーンの張り具合などを比較出来なかった。それに、作業が始まってしまえば、当然ながらあっという間に手は油まみれの真っ黒けになる。写真どころではない。
もう少しわかりやすく、画像で補足できるようにしたい。
立花岳志氏のブログスタートアップ講座の力を借りてジャンプアップするぞっと決めた
このブログを始めて、間もなく2年が経過しようとしている。
はっきり言ってしまえば、何かが目覚ましく変化したということはない。それでも、専念できる状況ではないながら、これまで430を超える記事を更新できた。1日1記事には遠く及ばないが、まあ「継続できている」と言ってもいいだろう。ギリギリ及第点を与えたい。
定着の次は発展
こうなれば、当然次のステップに進みたくなる。
PVも稼ぎたいし、具体的にブログを介しての人的交流を生んでみたい。収益化だって、もちろんしっかり確立したい。
どうしようか?
答えはもう見えている。WordPressに移行して、より深く自分のブログに関わることである。
現状に不満があるわけではない。使い方にも慣れてきたし、このままでもいい。でも、脳にはより高い目標設定をした方が、好結果を生みやすい。負荷をかけた方がいいのだ。
僕は、IT音痴だ。これだけでも、かなりハードルは高い。だからこそ、そこにあえて挑戦する価値がありそうな気がする。
スタートアップ講座検討中
独学なんて、考えてもいない。つまずくのは必至なので時間の無駄だ。そういった所にこそ投資すべきではないか。
そうならば、お願いするところは決まっている。というよりも、他にはつながりもないし…。
立花岳志氏のブログ・ブランディング塾を受講しようと思うが、大阪の日程がどうも僕にとっては厳しい。
それならば、今回は涙を飲んで、無料ブログからWordPressへの移行をお手伝いしてもらえる、「WordPressスタートアップ講座」だけを受けさせていただくことにしよう。
これなら、日曜日の1日だけで完結なので問題ない。
立花さんはもちろん、もう一人の講師、ものくろさんこと大東信仁氏とも面識はあるので、これは気分的にはかなり楽だし、実はトコトンおあつらえ向きなのだ。
そんなわけで、日程調整中。というか、あとは踏ん切りだけ。
それまでに、疑問点をどんどん書き出すと同時に、思いっきり更新頻度を上げてスパートした方が良いかも知れない。
「ブログ筋力」を目一杯高めつつ、???もたくさん抱えた状態の方が、より有意義な講座に出来そうな気がするのだ。
スタートアップ、行ってみよかな?って言うよりも、もう決定!
「のんびり出来たら快適」ってわけでもないらしい 〜脳は思った以上に貪欲〜
「快適」って何でしょう?
したい事をしましょうとか、好きなことだけすればいいなんて聞くと、とにかくダラーっと怠惰に暮らすイメージを持つ人もいるかも知れない。
でも、普通なら、ダラーっとしてたってちっとも満たされないのだ。そんなことくらい誰でも経験済みだろう。
時間を忘れるくらい、あることにのめり込んでいるのが一番満たされた状態なのだ。「満たされている」とは、脳が喜んでいる状態で、案外休息を望んでいない臓器なのかもしれない。常に好奇心満載で、外に向かってアンテナを張りまくっているようだ。
ルーチンワークはダメ
平常心を保つためのルーチンワークは、どちらかと言うと、スポーツの場面などで推奨される向きがある。でも、脳の成長という観点からすると、あまりお勧めでもないということになる。
そうか、どんどん日常ではないことを取り入れていく必要があるんだ。
年齢のせいにしたくはないが、毎日同じような作業が続けば楽で、心の安寧が手っ取り早く得られる気がする。それは「守りに入った」に過ぎない。
自分の限界を少しだけ超えて、常に全力プラスアルファを目指すことが、長い目で見た時、明るい将来を予感させてくれる。
さあ、何を始めようか
楽器、未知の言語、トライアスロン、人前でのパフォーマンス。どれもハードルが高すぎる。
これをこのまま受け入れるかどうかは別にして、何が自分の心を揺さぶるのか、よく考えてみる余地はありそうだ。
そう、今年の目標は「熱く!楽しく!」だ。
行動量を増やして、「どうせダメだよ」という悪魔の声を封じるのだ。そんなものが入り込む隙を与えないのだ。
闇雲にぶっ飛ばして疲弊しないように、心を整えることも同時進行していくことを、肝に銘じよう。
働き方を柔軟に変えて固着思考を脱する 〜鉄人金本を目指すだけではダメだ〜
子供の頃度々聞かされた母親の言い付けは、その後の人格形成・生き方を決定する大きな要素となり得る。
僕の場合の、それは何だろう?
いろいろあるが、決定的なものの一つが、「学校には這ってでも行け!」だ。
休まない美徳
休まないことを美徳とする考え方は、現代では受け入れられにくいものに変わってきた。有給休暇だって何だって、使わなきゃ損だし、労働時間が少ないことこそ、最高の善なのである。
昭和にどっぷり浸かった僕の世代には、頭では分かっているつもりでも、まだどこかで「でもね…」と口を挟みたくなるところが、正直残っている。
特に、まだその仕事に就いて日が浅い場合などは、「休まない」「ちゃんと時間通りそこに居る」ということ以外に、周りにアピールできるポイントがない。そこから信頼感を得ていかないと、使ってもらえないのだ。
もうたぶん時効だから、正直言おう。前の職場で働き始めてすぐの頃。僕は全身のだるさと高熱を押して出勤した。しんどそうにしている、と感じた人も居ただろう。でも絶対にそのことは口にしなかった。「新人のくせに休みやがった」と思われるのが嫌だった。第一、余剰人員はいない。簡単に穴を開けられる状況ではなかった。
間違いなくインフルエンザだったと思う。働いていたのは、医療機関だ。これ、下手をすりゃ〝殺人未遂〟ではなかろうか?
僕は、鉄人金本を目指していたんだ。つべこべ言わずに、続けることで道は開ける。苦しいのは当たり前、でも続けたらいい事が待っている。そう信じていた。
僕はその後、その職場で6年ほどを過ごすことになる。おかげで、「休まない人」という称号を獲得できたと自負している。
決定的に違うところ
ところが、鉄人金本と僕には決定的に違うところがあった。
向こうは、タイガースの4番を張る逸材であったこと、僕は代わりをいくらでも立てられる〝その他大勢〟に過ぎなかったこと。
それを証拠に、人的にやや満たされた状況が生まれると、僕の待遇に変化が起きた。具体的に給料が減ったとかではないが、冷たくなったように感じた。
僕には、「苦しい時を支えたのは自分だ」という思いもあって譲れなかったが、経営サイドから見れば、過去の実績よりも今後の可能性に投資するのは当然だ。
僕は、だんだんとやる気を失くしていった。そう、やる気を失っては、どうしようもない。ちょっとしたギャップが、大きな溝に変わっていくのにそう時間は掛からなかった。
力を注ぐべき場所
鉄人金本を目指すこと自体に、間違いはなかったと思う。でも、頑張れば良いことが起きる、というのは迷信だ。ただ頑張ればいいというものではない。
ただ盲目的に一点突破を目指だけでなく、マルチな視線を持って、自分自身を監視しなければならない。基準になるのは、もちろん、「ワクワクするか?」「楽しいか?」である。
将来の圧倒的ビジョン無くして、全力疾走が出来ようか?目的地がどこなのか、どれくらい離れているのか、が分からないままでは走れまい。
未だ、確固たるそれがないままであることに愕然とする。朧げながら浮かびそうになるその芽を、理由なく阻害しようとする力が、しつこく頭の中にこびり付いている。
どうしたことか?いやこれでいいのだ
本当は、どこにも邪魔するものなど存在しない。自分で思い込んでいるだけだ。圧倒的ビジョンをより明確にすることだけに傾倒すればいい。
このところ身体の調子が悪い。寒さにはめっきり弱くなった。思うように動けないのだ。でも、無理をすれば絶対に仕事はできる。これまでの自分なら、絶対にそうしていた。
でも、あっけなく休んだ。どうしたことか?職場は変わったが、相変わらずの心理状態であることは哀しい。現状とビジョンの間に繋がりを欠いている。
「俺、このまま没落するのか?」
そんなこと、あるわけがない。胸の中の濁りを、徹底的にあぶり出さないと先に進めないではないか。
僕が休むことで、職場が回らなくなっているとしたら、それは僕の責任ではなくて、危機管理を怠った経営者が悪いのだ。
それくらいでいい。こちらは、50年も凝り固まってきた思考を、大きく変化させたいと思っているんだ。
そして、どこまでも自分に素直に生きようとしているんだ。