僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

仕事は技術じゃないんだ、ココロだよ 〜阪急電車に乗る時の幸福感を届けたい〜

運転免許の更新に行ってきた。心機一転思いを新たに気分も爽やか、とならないのは何故だろうか?

 

全然楽しくないのだ

僕は初めて運転免許を取ってから既に30年以上。更新手続きはいつも光明池の試験場へ出掛けているので、もう何回行ったか分からないくらいになっている。
 
 

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今日教えてもらったが、この場所だけで1日7〜800人くらいが更新に訪れるらしい。それを迎える職員の方からすれば、毎日繰り返される仕事は出来るだけシステマティックにしておかないと、身が持ちませんという思いなのは分かる気がする。すると、対応が文字通り事務的で、機械がやってるんか?とツッコミたくなる場面も増える、という弊害を生みやすい。味も温かみも何にもない、ただスムーズに流すことのみを優先した対応では、自然とこちらも気持ちが乾いて、カサカサしてくる。
 
 

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講師陣は、お仕事柄警察OBの方も多いのだろうか。違反してもらっては困るし、事故はもっと困る。そんな思いからか、ある程度仕方ないのかも知れないが、彼らはどこか高圧的であることが多い印象を受ける。
 
さすがに建物が、かなり古びてきていることと相まって、さらに何となく気分は盛り上がらない。
 
「なんか楽しくない…」
 
 お役所仕事にそこまで求める方がおかしいのだろうか?大きくマイナスでないだけ、まだマシ?プラスを求める必要がないのが、お役所仕事そのものだから…。
 
 

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 各社の個性って、思う以上にはっきり出ます

 大阪市内からこの光明池へ行く場合、御堂筋線で中百舌鳥まで行って、泉北高速に乗り換えるルートを使う人が多いのではないか。僕もそうだが、数年に一度だけここを通るという人にとっては、もっと楽しくてウキウキな道中であって欲しい。それを思うと、どうも南海電車では、いかんせん「ショボい。」
 
なにより、接続駅である「中百舌鳥」が、古めかし過ぎる。古いだけなら仕方ない。メンテナンスがされているように感じないのだ。
 
雨漏りのシミだらけの天井。ガムの痕だらけの階段の床。雑然と無造作に貼り付けられた、案内ポスターの類。
 
 

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鉄道事業者は、エンターテイナーでもあるべきじゃないか。提供すべきは「移動」だけではないはずだ。メンテナンスにコストを掛けて欲しい。コストとは、お金そのものももちろんだが、自分たちの使命にかける情熱・ココロの表れでもある。
 
阪急電車の例を出すまでもないが、阪急の設備が総じて新しいわけではない。けれど、隅々まで磨かれたホームからは、そこにある思いが伝わってくるので、ワクワクできる。
 

誇り・使命感・思い

誇りに溢れた職場には、いい仕事をする人たちがたくさん居る。その人たちは、誰に言われるでもなくそこいら辺をピカピカに磨き始めるだろう。誰に言われるでもなく、丁寧で温かみのある言葉を選ぶに違いない。
 
そんな場所がいつまでもゼロに留まっているだろうか。放っておいても勝手にプラス側へ昇っていってしまう。周りも巻き込んでの、強烈な上昇スパイラルが生まれるだろう。
 
少なくとも自分が属する組織は、こうであって欲しい。自分の仕事が社会を動かしたら、嬉しいじゃないか。もちろん良い方へ…。上へ上へ…。
 
自分が出せて、笑顔になって、幸せになる。誇りを持って熱く生きる。
 
上手に導く術はよく心得ないけれど、今は自分自身がそうあることで、良い空気を醸し出す存在でありたい。もしそう思えないのなら、それは人としての成長を止めてしまったことの証になると言える。