僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

マンション偽装にみる職人気質の欠如 〜って言うか職人さんなんかいないじゃん〜

立て続けに発覚する不正事件ですが、何が緩んできたんでしょう?

 

自律できてこそプロ

 
その昔、鎖国とかそんな時代まで遡る話ですが、日本人の勤勉さと文化程度の高さには、欧米人もとても驚いたというふうに聞きます。
 
外国の情報など殆ど皆無であったろう時に、なぜ他からも尊敬を得るような人々でいられたのか?
 
自分に厳しいというか、誇り高いというか、その基準を頑固に貫き通すことこそが自分の意義だとする生き方が、歴然と静かに其処に在ったのだと想像できます。
 

プロのレベルが下がっている?

しかし、今はこんなところにまで法律が関わっているのかぁ…、とビックリしてしまう程のがんじがらめ。何とか上手くその網の目をくぐり抜けることが、プロの腕の見せどころ、みたいに変わってきてませんか?

 

質の高い仕事を遂行するために絶対に必要な経験とカンを、いかにも不確かなもののように決めつけてしまい、数値とデータ絶対主義へと縛り付けてしまう。だから、数字上の基準さえクリア出来ていたらそれ以上は別に何も考えなくて良いという仕事が立派に成立してしまう。結果として個人のレベルが下がっても、法律を整備したから抜け目は無いはずだという理屈が先行してしまう。

 

誤解を承知で言わせていただきましょう。今回のマンションの偽装事件だって、建物が傾きさえしなければ何の問題もなかった。だから、絶対に傾けてはいけなかった。敢えて言わせていただきましょう。建築基準なんかどうでも良いのです。傾かないものを建てることが唯一にして絶対の使命だったのです。

 

しかし、それすらも守られませんでした。これ以上手を抜いたらマズイという経験が、伝承もされなければ共有もされていない。

 

数字至上主義、大企業至上主義の弊害が、何か目には見えにくいものをジワジワと蝕んでいく象徴のように感じているのは、僕だけではないはずです。

 

今この瞬間が未来の出発点です

例えが適切かどうかは分かりません。
 
多少技術的には未熟でも、勝負どころでは怒涛のように襲いかかって泥臭く得点していく。そして、守る時は執拗に粘っこくマークを外さない。時に激しく飛び込んでくる。
 
それに対して、個々のスキルは素晴らしく高いが駆け引き下手。どうしても切り拓くという気概に乏しく、どこか他人事っぽい。責任の所在があいまい。
 
スポーツのナショナルチームが、その国の内情を浮き彫りにするように形作られていくことは、ある意味当然の成り行きです。
 
これが出来るようになったら次はこれですよ、というように完璧にプログラミングされた育成方法は一定レベルの選手を多く輩出するには最適な方法のはずです。
 
「こうやって世界一の基準を作りましたからみんなで守っていれば大丈夫ですよ〜」という言葉を鵜呑みにしていれば、確かに大失敗は回避できるかもしれません。
 
でも、人を唸らせること、感動を与えることなんかは特に重要でもなんでもないこと、って本当にこれからも子供達に伝え続けて良いんですか?
 
ロジック一辺倒の限界に早く気づかないと、荒んだ空気の色合いが一層高まってきそうで、とても怖いです。