僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

駄菓子屋のおばちゃん近所のおっちゃん、学校以外にも先生はいっぱい居た

遠足と言えば

上の子が、遠足のおやつを買いに、駄菓子屋さんに行きました。

 

上限は200円。スーパーへ行ってたくさんの種類の中から選びたいだろうに、彼女が選んだのは、近所の駄菓子屋さん。

 

実は彼女、軽いですがアトピーと喘息を持っていて、うちの妻は特に食べ物には気を遣ってくれています。

 

だから、インスタント食品などを「ジャンキー」だと言ってできるだけ食べさせません。駄菓子もその基準に十分引っかかってしまうので、本来はアウトです。

しかし、成長とともに症状もやや軽くなってきたのが分かります。そうなると、少しくらいならいいでしょう?という気持ちに、僕ならなります。

 

友達がそういうのを食べていたら、自分だって欲しくなる筈です。まだ子供ですから当たり前でしょう。

妻は少し納得できない様子でしたが、結局OKしました。

 

一緒に買いに行きました

土曜日の閉店間際だったので、お客さんは我々だけ。いつもは子供達の賑やかな声に包まれていますが、ゆっくり選べて良かったです。
 
子供が3人も入ればいっぱいになってしまうであろう、狭いお店。小さな陳列台には駄菓子が溢れそうなくらい乗っています。
 
懐かしい…。
 
はっきり言って、特にコレって物が売っている訳ではないです。1個20円とか30円なら、こんなもんでしょう。それにしても、「駄菓子」とは失礼な言い方です。パッケージが鮮やかで、そそられます。
 
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ホントは何が懐かしいの?

しばらく見ていたいなぁと思わせる何かがそこにありました。僕が子供の頃にも確かにありました。「何か」とは何でしょう?僕が行き着いたのは、「守られてる安心感」でした。
 
いつもの店番のおばちゃんは、必要以上に子供達の行動に介入してきたりはしません。でも、意地悪な子にはそれを咎める声かけをするし、無駄使いをする子には快く売ってくれなかったりもします。
 
見ていないようでも、いい意味でしっかり監視してくれている、という文化が根付いている世の中だった、と言えます。
 
今のスーパーが悪いとは言いませんが、レジのお姉さんにそこまでは期待出来ないでしょう。
 

やっぱり子供達の笑顔が見たい 

経済構造の変化とかは起き得ます。しかし、残すべき日本人としての心根の部分は今後も大切にしないといけません。
 
守ってくれる大人がいる中で、のびのびと大らかに過ごした子供は、自信にあふれた逞しい子になっていくはずです。
 
自信と誇りに満ちた健やかな次世代を生むのに、大人たちの果たすべき役割は当然大きいようです。