僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

夢が叶わないのは自分が勝手に諦めたから 〜〝好き〟をもっと大切に噛みしめるべき〜

毎晩スキーのメンテをした。苦痛なんかある訳ない。

オリンピックのスキージャンプ団体戦。金メダルをほぼ手中にした日本チームが、最後のジャンパー原田雅彦選手の失敗ジャンプの末、スルリと優勝を取り逃がしてしまった。

 

リレハンメルオリンピック。1994年のことだから、もう23年も前になった。

 

 

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僕はこのシーンを、白馬の旅館の一室で見ていた。その旅館のスタッフが寝泊まりする部屋だった。そう、僕は住み込みのスタッフとして、その冬を山で過ごしていたのだ。

 

ちょうど僕は30歳を目前にしていた。スキーが大好きだったことは、もちろん間違いない。「スキーともっと深く関わりたい」という思いが、胸の中でくすぶっていた。その頃は、夏の間もそんなことばかり考えていた。

 

とにかく行動を起こさないと収まりがつかないところまで来ていた。だから、動いた。前年の夏にお目当の旅館に電話して、次の冬にスタッフとして働かせて欲しい旨を伝えると、ほぼ即決でOKをいただいた。後で聞くと、そんなに早くから電話してきたのは僕だけだったらしい。

 

大阪では、少なからず冷ややかな目を感じたのも事実だ。「何やっとんねん、アイツ…。」でも嬉しかった。いっぱいスキーが出来る。実際、山に行ってしまえば、周りにはそんなヤツばかり居て、気が紛れた。

                         

「気が紛れた」?何を言っているんだ。気を紛らわすために来たのではない。この期に及んで、まだ人の目を気にして、少し怯えていた。自覚もあった。

 

紛れるも紛れないもない。そんなものは大阪に置いてきたはずで、雪を、冬を思いっきり謳歌するべき時なのだ。

 

でも、確実にすぐにやって来る春には、何らかの身の振り方を内外に示さないと収まらない。収まらないと言うよりも、「期間限定で遊んでます。いつまでもフラフラしようとしている訳じゃありません」という、言い訳を発信をしておかないと不安で仕方なかったのだ。

 

毎晩、濡れたスキーを丁寧に拭って、翌日に備えてワックスを塗った。楽しくて仕方なかった。でも、やっぱり怯えていた。春まで、あと何日…。

 

僕は、こんな夢のような生活を続けていける人じゃない。そうに決まっている。根拠があるわけではない。でも決まっている…。

 

 

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誰からも制限されなかったのに自ら諦めた

そんなにのめり込んでも、抜群にスキーが上手くなったわけではなかった。

 

「雪国生まれじゃないから、やっぱりダメなんだ…」「もともと、運動神経悪いし…」

 

山に残って、スキーに関わって生きるなんて出来ない。だって、僕は大阪生まれだ。スキーも、普通に滑れるだけだ。

 

大阪へ帰る電車から見た日本海は、春の色だった。僕の人生の中のページが、大きくめくられた気がした。

 

もうスキーばかりできる冬は来ないだろう。 〝やりきった感〟があったからじゃない。勝手に諦めたのだ。誰も僕の夢を否定したりはしなかった。自分で、諦めることを〝決めた〟のだ。

 

 

行動に移すところまでは出来た

友達はいっぱい出来たし、その時の経験自体は、今でも光り輝いている。誇らしいと思っている。

 

それなのに、思い出す度にこんなにも切なくなるのは、やり尽くせなかったからだ。結局不完全燃焼で終わってしまった記憶は、簡単には覆せない。

 

ここは、しっかりと評価してあげないと、相変わらずの自己否定感だけが残ってしまう。アグレッシブに攻めたところまでは間違っていなかった、という視点で自分を振り返ればいい。

 

そして、次はこだわりを持ってやり通すのだ。自分の潜在力を信じ切る。ブレーキをかけていたのは、他の誰でもなく、自分自身の意識に他ならないことが、今の僕にはよく分かる。

 

 

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