働き方は人それぞれでいい 〜自分を押し通すことが幸せへの最短距離〜
働き方を考える
もう、このことについて考え始めると、イライラするわ、悲しくなるわで、絶望的気分だ。
一つの職場に、何時から何時まで拘束されて、給料は月〇〇万円。そんな就労形態が、時代にそぐわなくなってきているのは、誰にでも分かる。
時間で縛られる単純作業も、たとえ高度であっても知識のみで事足りる士業も、付加価値がないとすべてAIに取って代わられる。そんな世の中は、すぐ目の前だ。
「時短が進む、嬉しい」なんて単純に言っている場合ではない。そこでも生き抜いていくだけの、これまでとは違うブランド力が自分には備わっているだろうか?いきなり、雇用関係に大変革が起きては、〝半フリー〟状態がいたたまれなく不安な方も出るはずだ。
自分にあった働き方
僕は、「被雇用者」という立場に、疲れている。日々の大半がルーティンワークで埋め尽くされることに、激しい違和感がある。
そもそも、同じ職場になぜいつも居ないといけないのか?したい仕事はいっぱいある。
朝は此処でこれをして、昼からはあっちで別の仕事をする、でも不都合はないじゃないか。
あるとしたら、制度がそれに対応できていないからだ。
国をあげて「働き方改革」を唱えても、制度的後押しがないままでは、個人の裁量まかせの域を出ない。
こちらが良いからこちらにせよ、という話ではなく、そんなことこそ自由に選択しようよ、と言いたいのだ。働くことは、個人の一番根幹を成すものだから。
働き方パイオニアになるぞ
いつまでも「息苦しい」とだけ言っていても、何も始まらない。
こうなったら、「変な生き方してる人いるよ」と言ってもらえるくらいになる方を目指す。
健康保険も、厚生年金も、糞食らえ!こんなもん、大企業賞賛思想の具現システムじゃないか!
以前も書いたが、朝から夕方まで拘束されていないと、定職に就いていないと見なされてしまうなんて、バカげている。子供を保育園に入れられない。
怖いものはまだある。けれど、進まないと事は起きない。今が、〝産みの苦しみ〟なのだ。
そっと胸に手を当てる。何やら、淀んだものを感じる人は多いだろう。そこをどんどん削っていって、最後には完全に無くしてしまう。
その時、僕は、どこまでも純粋な自分自身に近付けるのだ。
働き方の形が重要なのではない。自分の内面を、どこまでも激しくほとばしらせることが、幸せを呼ぶのだ。