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僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

道を極められるのは、心が伴うからこそ 〜ふさわしい人になるために〜

少4の娘は、書道を習っている。

 

年末の夕暮れに教室までお迎えに行ったら、書き初めならぬ〝書き納め〟をやっていた。そして、先生に声を掛けられた。

 

「お父さんも書いていって下さい」

 

「はぁ〜??」

 

何を言い出すのだ、この人は。

 

 

昔取った杵柄?

まあ確かに、小学生の頃は僕も習っていた。しかし、もう何十年も、筆なんて持ったこともない。しかも、当時だって決して上手かったわけではない。

 

結果は目に見えている。やめた方がいい。

 

ところが、なぜか椅子にかける羽目になった。

 

お題は、「平和」である。

 

お手本を凝視する。ゆっくりと筆を進める。こんな緊張感を、昔も経験したことを思い出す。

 

書けた。

 

思いの外、上出来だった。先生が、「習ってましたね?」と言ってくれた。

 

確かに習っていた。でも毎週イヤイヤながら通っていた。半紙10枚のノルマが、なかなかクリア出来なかった。

 

技術は確実に落ちているはずなのに、そこそこに纏まったのはなぜだろう。それは、心持ちが変わったからではなかろうか。

 

こんな僕でも、様々に経験を積んできた。筆で字を書くというただの作業に、肉付きをもたらすのは、人としての成熟であるのかも知れない。僕が成熟しているだなんて、胸を張って言えたもんではないが、そんな気がする。昔取った杵柄、ってことでは収まらない。

 

 

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 ▲左が僕の作品 右は娘の作品

 

 

整える

書道に限らない。ココロを鎮めて一心に打ち込む時間が、穏やかな癒しをくれるのは自明だ。要するに、身の周りと、その内側をキレイに整えておいた方が良いという話なのだ。すべての基本。無い、ってわけにはいかない。

 

大波に翻弄されるように揺れ動く、我が心の浅はかさを省みつつ、子供の頃に刻まれた、墨の匂いの記憶に、少なからず懐かしさも覚えた。