ランニング習慣を途切れさせないために 〜乱れているのは感謝が足りないから〜
乱れを正そう
誰かに向かって誓ったわけではない。自分自身に掲げた公約に過ぎないが、年2回のレース参戦を、2016年はどちらもキャンセルしてしまった。春の小豆島オリーブマラソンと、秋の瀬戸内海タートルマラソン。
その理由は、兎にも角にも「乱れている」からなのだ。声高にモチベーションアップだけを唱えても、効果は長続きしない。「乱れ」を抽出して、ひとつひとつ対策を講じるべきだ。
家族の協力
圧倒的練習不足の背景にあるのは、それに集中する環境を作り出せていないということだ。ココロの乱れは、環境の乱れでもある。
昨年、転職活動を経験した僕は、その前後の時期も含めて、相当のストレスを抱えていた。その「異変」は少なからず家族にも、特に妻には迷惑を掛ける結果になったはずだ。
付け加えると、うちの下の子はもうすぐ3歳という、「超イヤイヤ期。」妻にとっては、僕の問題も加わって、難題が膨らむ一方だ。そんな時に僕が外へ走りに行ったりしようものなら、子育てを押し付けて勝手なことをしている、と思われるのは必至。妻は三重苦に見舞われる羽目になる。
しかし、僕はそんな気は毛頭ない。何とか時間を捻出して「挑戦」している、半ばヒーロー気取りなのだ。そして、走って帰宅した「ヒーロー」は、明らかに不機嫌な形相の妻に、「また洗濯物増やして…」と嫌味を言われる。
「走ったらエエよ。協力はするよ…。」僅か数日前の妻の言葉である。鵜呑みにした僕が浅はかだった。この後に、「でも今はアカン」という続きがあることが読めなかった。
人はひとことで言って、「非力」だ。だから、何を為すにも周りの協力を得た方が好都合である。中でも家族の理解は特に大切で、もし無くなってしまえばお手上げ状態直行は避けられない。
走りたい
もちろん家族の問題だけではない。「寒い」とか「しんどい」とか、「もうやめてもいいよ」という囁きは、常に聞こえてくる。
でもやっぱり走りたい。その感情は大切にしたい。身体に良いとか脳に良いとか言う以前に、ココロに素直でありたいし、出来るだけ早く行動に移すことが得策であるのは自明だ。
だから、今年は自分に甘く、可能な限りハードルを下げることを目指してみる。
面白そうな方を選ぶ
- 面白そうな仕事を常に探す
- 乾燥機付き全自動洗濯機にチェンジ
- 暑い・寒い対策を惜しまない
- 記録挑戦を封印
男はまず仕事である。何と言われようが、そこが充実していないと人生の大部分が損なわれる。家族が後回しなのではない。「本能」なんだから仕方ない。幸い定職を得ている僕ではあるが、「このままでいい訳がない」という違和感は今でも常にある。ココロを充足させるためには、なりふり構わず邁進し、熱くなくてはならない。アルバイトだろうが、内職だろうが、ボランティアだろうがなんでもいい。打ち込める事があることが、ココロの安寧の必須条件だと考えている。
妻は乾燥機を嫌う。生地が傷む、電気代がかさむというのが理由だが、「干す」「取り入れる」の時間的ロスを無くせるメリットは多大だ。文明の利器の助けを借りない手はない。僕のランニングウェアは自分で洗えば文句はないだろう。その程度なら負担は小さい。今使っている洗濯機の更新時期が近いので、次は乾燥機付きを買う約束を取り付けた。それでも妻は「私は使わない」と言い張るが、きっとそのうち喜んで使い始める。新しい物には常に懐疑的だが、結局はすんなりと受け入れる。10年以上一緒に暮らせば、それくらいは分かってきた。そういう人なのだ。
それが年齢からくるものかどうかは判然としないが、寒さにも暑さにもめっきりと弱くなってきた。「寒いから」「暑いから」は、何か行動を躊躇する時の言い訳に恰好だ。これを封じるには、グッズの力を借りるしかないか?今時、数多くの高機能のウェアが目白押しなので、レビュー記事でも書くつもりでせっせと試してみようか。
それと、もともと素質があるわけでもなんでもないくせに、やり始めたらすぐに結果が欲しくなってしまう。記録を意識し始めてしまうのだ。やる気を維持するには大切なことではあるものの、ブランクもあるくせにそこばかりに注目してしまっては、やがて自らの首を絞めることになってしまう。今年は一旦そこから距離を置いて、原点の「走るよろこび」に浸ることにしよう。
すでに手にしている幸せ
走ることは、自分と向きあうことでもある。その最中、「苦しい」だけが頭を占めているわけではない。
これからのこと、家族のこと、果てはこの世に生きる意味とか、壮大なことまで及んで、何やらクリアになった気までするから不思議だ。
そして気付く。僕はすでに多くの幸せを手にしていることを…。それに対する感謝が充分ではないことを…。