イライラする人と、させる人 〜どっちも正しいからややこしい〜
小4の娘の機嫌が悪い。
夏休みが終わるこの時期は、自分にも覚えがあるが、ハッピーであるわけがないから当然だ。8月31日は12月31日の100倍は面白くない日だ。
子供なりに複雑になってきた?
よく話を聞いてみると、それだけでもないらしいことに気付く。
娘は学童保育に通っているが、学校がある時期は無論放課後だけお世話になる。しかし、夏休み中は学校の代わりに朝から晩まで居ることになる。大好きな友達と一緒に過ごす時間が、普段よりも格段に長くなるのだ。
嬉しいじゃないか!と、ばかり言ってられないらしい、彼女的には…。
人のことが気になって仕方ないと言うのだ。例えばこうだ。
学童から習い事や塾に行くのだが、同じところへ通う数人と一緒に行動するのが原則だ。このご時世、どんな危険なことがあるか知れたもんじゃない。妥当だろう。
ところが、特に男の子たちの中には、行き帰りにダラダラと寄り道したりして、多少の遅刻なんかヘッチャラ、てな感じの子もいる。うちの娘には、それが許せないほどの悪行に映る。もちろん、少々女の子が注意したくらいで、改善される様子はない。さらに輪をかけてイライラが募る。
自分の好きなことだけして喜んでたらいいはずだったのに、そこに人間関係が絡みついてきた。子供といえど、そこそこ複雑なのだ。
間違いなく親の子だ
僕だって、同じような経験を小学生のうちにしている。
どこか醒めて且つませていたので、同級生に向かって「こんなガキとはやっとれん!」と、学級委員長の職を放棄したこともあった。〝人間不信〟とはこういうことかと、当時すでに認識していた。
うちの妹だって同じような性格だ。その息子である、僕の甥も同じようなもの。加えるなら、妻だってそんな感じの人である。娘がそうなるのは至って当然なので、むしろ安心した。融通は利かないが、正義感は強いのだ。よかった…。
よかったけど、どうします?
正義感は強い方が良いだろうが、大人になってもこんな感じなら、さぞかし疲れるだろう。
人のする事で悪い影響を被ってしまうのが、一番アホらしい。人からは、良いところだけ黙って頂こう。
人と自分は違って良いのだ、ということを、どうやって伝えようか?
自分の中に、守るべき規範を持つことは大切だろうが、必ずしもそれが人にとっても規範であるとは限らない。
要は、自分にとっての正義と、相手にとっての正義が違うだけ。
正義と正義の衝突に終わりは来ないので、疲弊感と憎悪を残す。
体と心に距離を持たせてみよう
「受け入れよ」とはよく言われることだ。しかし、そんなに心が広い自覚はない。そこで、僕は「受け止める」を意識している。
受け入れることを自分に強制せず、一旦「受け止める」ことを意識する。その上で、納得したり出来なかったりする自分を俯瞰する。
完全にのめり込まないことの勧めだ。感情の発露は、ときにその発現元の安定を損なう。