僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

みどりの券売機プラスで予約 〜合理化一辺倒ではココロが乾く〜

JRの切符を自販機で買った

 5月1日に松江へ出掛ける予定です。テニスのC級審判員資格認定講習会に参加するためです。
 
前日の夜現地に入って、終わったら、夕方の列車で帰って来ようと思っています。
 
格安チケット屋さんに行っても、松江→大阪は需要が無いでしょうから、期待薄と判断して、普通に駅に買いに行くことにしました。
 
自宅最寄りのJR美章園駅には、いつからでしょうか、窓口がありません。まさか無人駅である筈はなく、インターホンで呼べば対応してくれるでしょうが、乗客以外の人の気配を感じないことに対して違和感が薄らいでいくのが、それこそ違和感たっぷりで気持ち悪いです。
 
駅員さんの姿がない代わりに、自動券売機、自動改札機、インターホンと監視カメラ…。何だかやっぱり、気持ち悪いですね。
 
そこで活躍しているのは、「みどりの券売機プラス」です。
 
 

www.jr-odekake.net 

 

 特急券を買う操作を自分でしてみました。 

 

表示される画面にタッチして進めていくだけですから、とても簡単です。普段スマホに慣れ親しんでいる世代には、ハードルなんて低すぎてほぼ無いに等しいでしょう。

 


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「指定券」のボタンを押して、乗車区間と日付などを入力すると、特急列車の組み合わせ例を、候補として揚げてきます。その中の一つを選びます。 

 

しかし、ここでちょっと問題発生。

 

 iPhoneの乗換アプリであらかじめ調べて、松江岡山間を特急「やくも26号」、岡山新大阪間を新幹線「さくら566号」、新大阪美章園間は普通電車で、という組み合わせを考えていました。でも、ぴったりと一致する候補が表示されません。

 

そこで、いくつか示された候補から、「やくも26号」、「さくら566号」、「はるか59号」の組み合わせを選んで、最後の「はるか59号」だけ普通電車に変更すればよい、と思ったのです。

 

 そうしてみました。すると、「やくも26号」、「のぞみ60号」、「普通電車」の組み合わせに変わってしまって、確認ボタンを押すよう求めてきます。「さくら566号」が「のぞみ60号」に勝手に変わってしまいました。 

 

「ん?勝手に変わるな!」 

 

そこで、そのままこの画面で、「のぞみ60号」を「さくら566号」に変更してみると、今度は「普通電車」が「はるか59号」に変わって、最初の組み合わせに戻ってしまいました。 あとは、何度やってもこの繰り返して、堂々巡り突入です。

 

 せこい話ですが、岡山新大阪間の指定料金が、「のぞみ」なら¥3,410、「さくら」なら¥3,200です。「さくら」は東海道山陽新幹線でいう「ひかり」と同じ扱いで、「みずほ」よりも少し〝格下〟なので、ちょっとだけ安いです。

 

 ここでコールセンターを呼び出してみました。

 

券売機に電話の受話器が付いていて、オペレーターと直接話せます。昔の黒電話の受話器みたいな、がっちり重そうなヤツです。さすがに黒ではありませんが…。

 


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小さなモニターもあって、相手の顔が見えます。こちらの顔も向こうに映っているようです。

 

 僕: 「5月1日の指定券を取ろうとしているんですが…」

 

 オペレーター: 「あぁ、ややこしい事になってますねぇ…」

 

 こちらの操作画面が相手側にも筒抜けのようです。電話で操作方法を教えてくれるだけだと思っていましたが、これなら状況の説明は最小限で済みます。

 

 ひと通り希望を伝えたら、「こちらで操作します」と言ってもらえました。すると、あっという間に手許の画面表示が、僕の希望通りの「やくも」「さくら」「普通電車」の組み合わせに変わっています。禁煙席か通路側かについても聞いてもらえて、座席指定は瞬時に完了しました。

 

 声で教えてもらっただけではやっぱり分からない、という方も居ると思います。そんな方にとっても、安心できると感じました。電話の向こうで操作してくれた画面がこちら側にも表示されるので、あとはOKしてお金を入れるだけです。


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便利でありさえすればよい時代は終わりました

「自動券売機」という部類に入るのは間違いないでしょうが、人対人の領域を残しているという面では、「半自動」とも言えます。 何もかも完全自動化で素っ気なくしてしまうのではなく、こういうのも有りかな?という気が、実際使ってみると少ししました。

 

 テクノロジーが進めば進むほど、ますます殺伐とするというのは、どうか今の時代の錯覚であってほしいです。どんな未来がやって来ても、やっぱり人間が主体である事は変えようがないですし、正しく技術が熟成していくなら、それは人のココロが温かくなる方向へ導く力となるべきもののはずです。