僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

感情にフォーカスしよう

走り疲れた時に、ホッと一息つきたくなるのは自然なことではあるでしょう。けれど、ボーっと過ごしていては却って休息にならない、と感じる方は多いはず。

 

ウインドウショッピングに意味はあるか

女性は特にそうでしょうが、街を見て歩くだけでスッキリするという方も居る。その気持ちは、僕も理解できる。

 

しかし、「スッキリしたぁ〜」と思えるくらい買い物しようとすれば、そこそこの経済力は必須だろうし、いつでも準備OKな方のほうが少数派のはず。

 

結局、スッキリとはせず虚無感が残る。

 

全然気分転換にならずに落ち込むだけの自分の心理状態。

ますます確信に近くなる、「モノがあっても幸せにはなれない」という感覚。
 

モノがあっても幸せにはなれない

ギターを買ったこともあるけど、一日中弾いていられるほど好きなわけじゃない。所有しただけでは一時の快楽のようなもの、何も満たされないことが分かる。
 
ラケットコレクションが目的でもない。持っているだけでは、実際にテニスをプレーした時の感情には、一歩たりとも近づけない。
 
では、何を求めているのか?僕は、実は何が欲しいのか、何を快く思い、何に喜びを見出す生き物なのかといった本質を突き詰めたくなってくる。
 

 その時々の感情に敏感であれ

どんな感情を抱くことを求めているの?愛すべきカウボーイ、jMatsuzakiさんは、「史上最強の人生戦略マニュアル」の一文を引用して、人が求めているものは、単なるモノや出来事ではない、と仰っています。実は、それに伴う感情を求めているのだ、と…。
 
 過去の感情を詳細に振り返ることをしたとしよう。どんな場面でどういう心理状態となるかに、ある一定の法則があるのではないか。
 
50年も生きてくれば、自分はこんな時にこんな感情を抱きやすい、というのはある程度見えている。だから、気持ち良くなりそうなことをどんどん取り入れて、その逆のものは極力避ければ良い。「ホントはやりたくないんだけど、仕方ないか…」は、もういい加減やめたほうが良い。
 
他人の人生を生かされている、翻弄されている自分から、自らの感情コントロールを手中に取り戻した自分への変換を目指す。この時の感情こそを、僕は望んでいる。海へ漕ぎ出す時の高揚感の前では、人の目を気にする時の消極さは卑屈以外の何ものでもない。
 

新しいところへ踏み込む高揚感

自分を成長させるエンジンを持つのは、やっぱり自分自身。人材開発を謳う人たちの思考に触れることは、そのエンジンを目覚ましくパワーアップさせる可能性を高めるはず。

 

そんな中のお一人、湯ノ口弘二さんをご存知だろうか?今、僕に大きな力と教えを惜しみなく注ぎ込んでくれているのは、この方が書かれた本。

 

 

コミュニケーションエナジー

コミュニケーションエナジー

 

 

朝が来るたびに、僕のココロがこの高揚感に満たされていたとしたら、人生は凄まじく燃え盛って、制御不能なほどの領域に達するかも知れない。そうありたいのだ。

 

信ずるべきは自らの感情。それのみだ。