僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

自分の居場所をヒョイヒョイっと使い分けたら、とても楽になれるかも知れない

ノマドワーカー」という言葉が、一般に通じるかどうかはまだ怪しいですが、例えばカフェでパソコンを開いて、ビジネスマンらしき人が仕事だか勉強だか…、というシーンは普通に見られます。僕だって、たまにします。

 

雰囲気があって、店員さんが〝早く出て行けビーム〟を発していないお店。ここのところは、もちろんちょっと申し訳ないと感じつつではあるので、常識的な範囲をよく見極めましょう。コーヒー一杯だけで何時間も粘ることがないよう、配慮しているつもりです。

 

差別じゃないんだ、区別は必要だということに気付け

僕は子供がまだ小さいので、家族で移動する際には色々と制限が付きまといます。特に周りに迷惑を掛けることがないかどうかは、いつも気を遣うところです。

 

外食の時にどの店を選ぶかは、そんなに難しい問題ではないはずですが、首を傾げたくなる人もたまにはいらっしゃいます。

 

午前中の静かなカフェに、小学生以下の子供たち3人を連れてきたお母さん。未就学児に常識はありません。結構ハチャメチャにして出て行きました。

 

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何もかも同じであることが平等であるとするなら、それは平等意識を履き違えています。それぞれが快適に過ごすのを保証されることこそが、本当の意味での平等のはず。

 

目的を異にする場には近付かない、お互いに侵さないというのはとても大切なことです。それを差別と取る輩もいるからややこしいですが、ちゃんと敬意と尊重も伴っているので、ヘイトなんとかと一緒にしてはダメです。

 

KY(空気読めない)って言葉が流行りましたが、日本人は階層社会・格差社会に比較的慣れていないので、そのへんについての感度は鈍いかも知れません。

 

近所のコンビニにジャージで出かけるのは、まあ良しとしましょう。でも室内用のスリッパみたいなので行っちゃったらヘンです。更に、そんな格好なのに手にルイヴィトンを持っていたら、まったくの理解不能。そういうことです。

 

要するに使い分け、メリハリ、けじめ、ってことだと思うんですが、これは自分自身の誇りを守るためにも、僕が気を付けたいと常々思っている部分でもあります。

 

「矜持」

もしいっぱいお金があったとしても、子供をグリーン車に乗せたりはしません。スーパーカーの助手席に乗せたりもしません。

 

でも、上の子が麗しのレディーになったら乗せてあげたいなぁ、っていうか一緒に乗っていただけますか?それまでに、スーパーカーが買えるようにお父ちゃんは頑張ります。