壁打ちスポットを探していたら、人生はスクラップ&ビルドだっ!と気付いたよ
テニスをする人の多くは、自身の練習環境についての懸案として、常に付いて回るある一つの問題を共有していると言えます。
ここにも「禁止」の文字。
それでも、ちょっとしたスペースを見つけて、やる人はやります。それを咎める人がいるのかどうかは分かりませんが…。
都会ですから、高速道路や電車の高架の脚とか、「これ使えそうやな」ってものもあります(あれをそんな目で見ている人は希少種でしょうが…)。でも、保安上の理由でしょうか、そういうのはフェンスで囲まれているケースが多いと感じます。まさか、ボールが当たったら柱の強度が落ちるからダメ、なんて理由ではないでしょう。
自己責任
その昔、今思えばバブリーな時代でしたね、カナダでスキーをしたことがありまして、一番日本のスキー場とは違うなぁ、と感じたことが、「規制の少なさ」でした。
危険なゾーンに目印となるものを設置するのはどちらも一緒ですが、日本の場合、過剰にネットを張り巡らせたりして、窮屈と言うか子供扱いと言うか親切と言うか…。事故った時の責任回避のため、という側面は理解できますが、一般に欧米の方が「訴訟社会」という感は否めず、そこらへんは矛盾する気がしました。
自分の行動に責任を持ってその中で工夫しながら、というスタンスがインスピレーションとか、創造性にも繋がるんだと思います。
技術の次に来るもの
テニスもサッカーも他のスポーツもそうでしょう、コートの中で練習メニューを淡々とこなすだけだと、スキルはアップするでしょうが、しなやかに強くなることは出来ないんですよね。
立派な施設と充実したプログラムのスポーツクラブに通うのは、もちろん素晴らしいことです。でも、特に子供の場合は、ろくな場所も道具もないのに、何とかして楽しもうとしていた頃の遊び感覚を失わないことが大切なんです。枠を取っ払う事こそにスポーツの、また人生の醍醐味があると思うんですが、もしかしたら大人の側にそれを受け止める大きさが欠けてきているのでしょうか。
偉そうに抑えつけるのではなく
キャッチボールの相手がいない時に、よその家の壁にボールを当ててよく叱られました。モルタルの壁は、そんなことしたら結構簡単に剥がれます。子供がいらん事してたら、ガンガン叱ってあげましょう。よその子でも、それは当然です。