Amazonギフトカードは「カード」じゃないので送ってもらっただけでは使えません
10月末頃に、Amazonのギフトカードをいただきました。
「ギフトカード」と言うからには、カードの形をしているのかと思いきや、メールでお知らせが来ただけ。昔のビール券みたいに紙がある訳ではないです。
Amazonのサイトに自分のアカウントでログインします。
アカウントサービスに入って、「Amazonギフト券を登録する」に進んで、「ギフト券番号を登録する」のところに、送られてきたメールに書いてある番号を打ち込むと、その金額分Amazonで買い物が出来る、という仕組み。
サッサとせんかい!
「こりゃぁ便利だわい」多くの人が感じる筈です。でも、そこで僕はある大失敗を…。
ギフトカードの使用期限というのがあってそれがまだかなり先だったので、届いたメールを受信ボックスに入れたままにして放置したのです。もちろん削除はしていません。しかし、内容が何処かへ吹っ飛んでしまいました。
「サーバーから受信できないので…」とかいうメッセージのみを残して、ギフト券番号が書いてあるファイルが消えました。確かに一度は開いて確認したので、最初からこの状態だった訳ではないです。
もうこの先は、IT音痴の僕には手が付けられない領域です。いろいろやってみましたが、復活しないので諦めました。
悔しいので、全部根こそぎ削除しました。痕跡があるとまた悔しさを思い出すので、ゴミ箱からも完全に消しました。「悔しいー」
サッサと登録しておけばいいだけのことを、しなかったのでこんな目に…。いつまでたってもこんな感じ。早くしておけばよかった、って後から思ってばかり。いつまでも同じ所をぐるぐる廻っているだけの人生。本気で変えなきゃ、って地団駄する瞬間。
お年玉
今はもう使っていないiPhone4があって、もちろん通話はできませんが、ネットラジオなんかが聞けるので重宝しています。
お正月にボーっと弄ってたら、
「アッー!あったぁ〜!」
例のメールが残っていました。ギフト券番号もしっかり残っています。
速攻で登録しました。「やったぁ〜!」
登録自体はわずか30秒ほどの作業にすぎません。これを面倒だと感じる心理が、自分でもまったく理解できません。
本気で決意表明せよ
新年早々えぇ事起きた!って喜んでる場合ではありません。わずかな額の損得の陰で、もっと大きなチャンスを逃してきた事に、自分だけが気付けていないのかも知れません。
「すぐやります」ってこのブログでも発信し続けていますが、本当にちゃんとやらないと、取り返しの付かない事になってしまいます。変化に怯えているヒマなんか、もう残されていないのですから…。
でも個人情報は大丈夫?
それはそうと、今回の事で、番号ひとつパソコンに打ち込むだけでお金があちこち移動することに、ちょっと恐ろしさを感じました。
個人情報云々と言われて久しいですが、大規模な漏洩事件が頻発する事態を見ても、完璧なセキュリティーを求めるのは無理があるように感じます。
マイナンバーもしかり…。
僕の場合、一応提供先のことを信頼してはいますが、「何かあるかも知れんな」くらいは思っています。でも本当に何かあったらどうなるか、という切迫感はないです。
そんな調子でも、クレジットカードを使ってネットショッピングもしますから、危険この上ないです。
一見便利そうだけど、やってみたら新たな問題が起きたので、その対策に多大なコストが掛かっています、って感じですか、今のところ…。
これまでも人間は、新しい挑戦をする度に目覚しい成果をあげる一方で、こういった犠牲も払ってきました。
個人の人生は壮大な実験でありゲームだと思いますが、「人類」という大きな目で見たときも同じことが言えます。
目指すべき場所へ進む足が、しっかりと地面を捉えているかは、それぞれがいつも気にしておかないといけない点です。「自立」というか、「自律」というか。私たちは常にその点を試されているのかも知れません。