小豆島富丘八幡宮で平和を願う
土庄の富丘八幡宮は小高い山の上にあって、街にほど近い所にありながらも、別世界の静けさです。
その登り口には、「富丘の桟敷」
もちろん、秋の太鼓祭りの際は、集合した太鼓の絶好の観覧場所となるわけですが、三都の人間の僕には池田の桟敷の方が馴染み深くて、正直言ってこちらの方はあまり知りませんでした。
ここのやや急な階段を登りきる前の途中に、「若潮の塔」という慰霊塔があります。
僕の父は、少年期を戦中の小豆島で過ごしていますが、田舎のことで空襲があるわけでなく、穏やかに淡々と時が経っていたものと勝手に想像していました。でも、高松の空が真っ赤に染まっていたのが見えた、というような話は聞いた覚えがあります。
子供にはその程度に映った世の中でも、厳しい現実はそこかしこに転がっていたのでしょう。当時も平穏であったであろう瀬戸内海が、こんな悲劇の舞台になっていたことを、この記事を目にするまでは僕もまったく知りませんでした。
「挺進隊」と言ったそうです。
ほとんど木の葉同然のベニア製の小舟に自らの身を委ねて、敵艦に突撃していった少年の悲哀と時代の狂気を、次の世代に受け継いでいく使命を担うことができる世代は、もう私達のあとには居ないでしょう。そういう意味でも、とても考えさせらせます。
昨年の天皇誕生日での会見で、陛下は「今年は戦争のことについて考えた一年でした」と仰いました。戦後70年の節目の年であったということ以外に、現政権への批判的な意味を含んだお言葉であったと、僕は感じました。もちろん真相は知る由もありません。
僕の愛する小豆島あるいはこの国が、又ふたたび惨禍に遭うことだけは、絶対に避けなければなりません。