思考と行動の接点 〜考えているばかりのあなたの背中を押してくれる至極の言葉〜
ノータイムポチリ
「新語」というのは、聞いた瞬間に腑に落ちればよりインパクトが強く印象に残りやすいものです。
「ノータイムポチリ」が新語と言えるかどうかは分からないですが、この「マラソン中毒者」を自称する小野裕史さんという方の言葉に、僕のココロがピッと反応しました。
おっしゃる通りです
どこを見ても、「ひらめいたらすぐ行動」「成功者はすぐやる脳を持っている」って書いてます。
知ってます。僕だって、そうに違い無いと感じます。
そうだ、そうだ!と僕を奮い立たせてくれた本は、例えばこの2冊。
それでも…
「知っている」と「行動できる」の間には想像以上に深い溝があるのだということに、改めて気付く場面が多いのも事実です。
何でやねん!と自分を腹立たしく思う反面、これは、その溝を飛び越えられそうな所まで取り敢えず近付いてはいる、というふうに捉えることもできます。どう考えても飛び越えられそうにない遠い場所から眺めているだけではないからこそ、その深さも実感できているのでしょう。
俺そんなに凄くないし…、違うって凄いんだって!
ここは子供の感性をしっかりと取り戻すべき場面です。うちの子供なんかを見ていても、何事においても、自分はこれが出来ないなどとは微塵も思っていないようです。そして、実際に客観的に見ても能力以上の事をやってのけます。「大人の常識」を挟み込んでしまった時点で、可能性を削ぎ落としているのです。自ら…。
そもそも、溝は深かろうが浅かろうが関係ないのです。飛び越えるんですから…。そう、飛び越えられるんです。それは最初から決まっていたこと。
脳の大部分を占める潜在意識の中に埋もれてしまったように見える輝きを、よりはっきりと顕在化させるために、「知っている」を「行動できる」に限りなく近づけるためのキーワードに、この言葉を意識して口にしてみようを思い始めています。頭の動きを身体の動きへと昇華させるきっかけの言葉になるんじゃないかな?
「ノータイムポチリ」
そう、走り始めてから考えてもいいんです。
怖い
今のままの僕で十分幸せだという領域に、まだ少し到達しきれていないのだと思います。今のままで十分幸せなら失うものはないわけですから、ダメだったとしても100%維持できた状態が続きます。まだ自分は足りないと思っている時点で、もしダメなことが起きれば、さらにダメな所にまでずり落ちてしまうわけで、その恐怖が先立ってしまうんでしょうね。
仕事とか家族とかにもっと感謝して、しっかり伝えて、幸せ度上げないといけません。
もちろんそういった境地を目指しています。幸せになるために生きているんです。