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僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

過去と未来は繋がっているということ、そしてあの世とこの世も隣り合わせだっていうこと

毎年、春と秋には小豆島でマラソン大会に出るようにしている。

 

「マラソン」と言っても、フルマラソンの出場経験はなし。いつも、ハーフか10キロの部に出ている。

 

僕は幼少の頃から運動が得意であったわけでもなんでもない。むしろ、超不得意な分野。すき好んで走るなんて奴の気が知れなかった。

 

なのに、なぜか今この歳になって走っている。でも不得意分野に挑んでいるという、僅かながらに気が引けるような感覚、ハードルを前に妙に肩に力が入ってしまう感覚は今もって抜けきらない。

 

だから、疲れる。

 

これは他人と比較することはできないが、普通の人よりも自分だけが疲れているんじゃないか?と思えるほど、特にゴール後は安堵感というよりも「放心している」と表現した方がふさわしい状態に陥る。

 

そこで、僕はレース後に温泉で汗を流すのはもちろんだが、その次に心身のクールダウンのルーティーンを持っている。

 

騒がしさから意識的に逃れるのだ。

 

内海病院の山側にある、小豆島88ヶ所霊場16番札所の「極楽寺」に行ってみた。

 

決して山奥なんかではない。マルナカの看板なんか、すぐその辺に見えている。けれど、すごく落ち着いた立派な門と本堂がどっしりと構えて、静かに迎えてくれた。

 

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お寺や神社なんて、何のために行くのか、子供の頃は訳わからなかったし、ホントに嫌だった。今でも訳わからないのは一緒だが、こうして引き寄せられていく人の気持ちはよく分かる。これぞ、DNAに刻まれた、というやつだろうか。理屈じゃないのだ。

 

無人の本堂に入って、線香をあげさせていただいた。

 

今日無事10キロを走りきれたこと、家族が健康でいられること、感謝すべきことはいくらでもある。

 

わが命は、脈々と続いてきた魂の連鎖のたったのワンピースに過ぎないが、だからこそ大切に繋ぎ渡さなければ、といった気持ちに自然となれる。大きく言えば、生きてきてよかった。生きてこられてよかった。

 

境内の横の道には、なんと「小豆島の先覚者」とした石像が多数並んでいて圧巻。

 

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遠いちょんまげ姿の時代から、こんなに立派な方々の偉業があってこそ、今の小豆島があると言ってもよい。ある意味当然のことを噛み締める機会になった。

 

夕暮れ、晩秋。

 

幸せについて深く思いを巡らすのに、ひとり佇むこの時間が、先人たちにどれほどの安らぎを与えたことだろう。

 

そして、今また僕もそれを存分に享受している。