おじいちゃんに聞いた戦争の話、小豆島にはその余韻があったよ
小豆島には、戦争を連想させるものがたくさんありました。
全部セピア色です
今でも、そのうち幾つかは残されているはずです。
田舎の家には、古い家族の写真が、たいていは仏壇の置いてある部屋に何枚も飾られていました。うちの場合は、祖父の兄弟の写真でした。それらは軍服姿でした。戦死した人ばかりです。僕にとっては、もちろん知らない人のひとりに過ぎません。
墓地へ行くと、敷地内に慰霊塔のようなものを見かけることが多かったです。「陸軍少尉◯山△兵衞 小豆郡三都村」みたいなことが書かれていました。
子供の頃から、「二十四の瞳」は何度も見ました、と言うよりは見せられたのかも知れません。
理屈じゃないんです、もちろん子供にもはっきりと分かります。
戦争はダメだ…。
先人の失敗から学ぶこと
僕は昭和39年生まれですから、戦後19年ほど経った頃のことです。もっと若い人なら、リアルな記憶が知識をより深めていくことを実感する機会も、戦争に関しては確実に激減しているはずです。
けれど、少ないチャンスを生かして、環境がまったく違う相手とも意見を交わすようにしないと、未来が明るく開けるイメージが湧いてこないです。
まとめ
昨今のように、国を完全に二分するような論争が巻き起こった時に、得てしてネットがその戦場になってしまうことがあります。
討論ではなく、罵り合いの場になってしまうことが見受けられる時、嫌だなぁと思うのと同時に、その未熟さに失望し哀しくなってしまいます。
変えられるのは、自分のみです。相手をねじ伏せることは不可能です。
自分のココロに、嘘偽りはないか?そこの部分だけをしっかりと自分に問いかけているつもりです。