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僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

小豆島だけじゃない、日本は海からの恵みを再確認すべき

そもそも僕は、味覚音痴傾向が強い。

 

基本的に、この歳になっても「質より量」的なのだ。

 

何でも美味しく食べられるように育てていただきました

これは、育った環境によるところが非常に大きいと推測される。

 

うちの実家は商売をしていたので、家族が全員揃って食卓を囲む、というような文化が無かった。手の空いた人から、順にサッサと済ませてしまうというような感じ。誰かが店番をしなくてはならない。

 

加えてうちの母は、繊細で手の込んだ料理をするようなタイプではない。男料理というか、豪快さはあるが見た目など気にしない。それはそれで美味しいが、上品な雰囲気からは程遠い。

 

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おかげで、今僕は妻に時々嫌味を言われる。

 

例えば、妻が奮発していつもよりグレードの高いお米を買って来たとしよう。まず、僕はその違いに気付かない。いつもと同じように、大口を開けてムシャムシャと食べ尽くしてしまう。たとえそこで「おいしい、おいしい!」を連発したとしても、「何食べさせても一緒やないか!分かっとんのか?」と、それはそれで癪にさわるらしい。

 

でもホントに美味しいと思っている。悪気は寸分もない。

 

誰にでも天から授かった恵がある

しかし、そんな僕でも最近になって気づいた事がある。

 

「大阪には、うまい魚が少ない」

 

うちの両親は小豆島出身である。どこにいても潮の香りがしそうな土地だ。その島で、特に父は、そのおじさんが漁師だったので、子供の頃から仕事を手伝わされていたらしい。酒好きであることもあって、魚だけは勝手に何処かから買い込んできて、自ら捌いたりしていた。あそこの市場にはいい魚があるぞ、と研ぎ澄まされた嗅覚と経験で察知する事が出来たに違いない。

 

おかげで、魚だけは絶品のものにありつけた。当たり前のように食べていた。それが、どうも当たり前ではなさそうだということに、やっと気付いたというわけ…。魚についてだけは、人並みに美味しい不味いの区別がつくらしい、ということにも気付いた。

 

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飲むよりも、魚を食べるために行くお店

高いお金を出せば、大阪にも美味しい魚はあるに決まっている。けど安くないとね…。僕が今まで行った中では、泉佐野の「たかだ」が美味しかった。

 

http://retty.me/area/PRE27/ARE613/SUB61303/100000957900/

 

美味しいものが身近にある幸せ

10年以上前のことだが、淡路島の福良という漁港の町で、そこらへんを歩いている人に「魚の美味しい店ありませんか?」と尋ねて飛び込んだお店が、飛び切り美味くてひっくり返りそうになったことがあった。

 

小豆島にもあんなお店はあるのだろうか?島に帰った際、「ちょっと今夜は外食気分」となった時にいつも困ってしまっている。魚のお店についての十分な情報を持ち合わせていない、というだけのことなのだが、この夏はぜひ一軒開拓してみたい。

 

先日の「ペチャクチャナイト」でも話題に上がったが、オリーブや醤油に隠れてしまいがちでも、「当たり前!やっぱり小豆島の魚はメッチャうまいやん!」を発信していかないといけない。