僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

自分と子供が合わせ鏡なのは、本当です

忙しい上にいろいろと思うことも多いのです、小学生ですが…

子供にテニスを習わせるというのが、ちょっとしたブームだそうです。

 

言うまでもなく錦織圭効果だと思われますが、うちも例外ではありません。

 

ところが、上の子(小3女子)にテニス習おうよ、と言うと、これまでは即座に「うん!」という声が返ってきたのに、最近は僕の質問と彼女の返答の間に、少しラグがある。様々な条件を頭で処理した上で、おもむろに口を開くのだ。

 

「お父ちゃんと公園でやるんやったら、したい。習いに行くのはイヤ」

 

なるほど、興味はあるけど躊躇している。

 

習いに行くとなると、全く新しい人間関係に身を投じないといけない。コーチ、同じレッスンを受ける子供たち。自分は経験がないので、多分彼らの方がずっとテニスは上手いはずだという予想。いろいろと不安の種は尽きない。引っ込み思案なのです。親である僕もそういう傾向が強いので、とてもよくわかる。

 

無理やり連れて行く気なんて毛頭ないので、なんとか乗ってきそうな作戦を企てているが、効果のほどはいかがなものだろうか。

 

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自信の風船がしぼんでいく 

でも、それ以上に気になる発言をするようになってきた彼女。

 

「運動神経良くないし…」

 

声を大にして僕は言う。「そんなことない。何でも出来るやん」

 

現に、プールではバタフライを習うレベルになっている、マラソン大会で上位に入った、なわとびカードに◯がいっぱいついた、逆上がりが連続でも出来る、竹馬が得意。どれも、もう僕では太刀打ちできない。

 

でも確かに、どれも誰よりもズバ抜けているか?と言われればそうでもない。それだけで凄いけど、出来る子がたくさんいるのも事実。その辺が、彼女に現実路線の発言をさせる元になり始めているのかも知れない。よく周りが見えるようになってきている。

 

 親としては、「すごい!やった、出来た!」「何でも出来るよ、きっと」と応援してあげたい。もちろん、「100人中50番目くらいやな」と余計なことを言う必要はない。

 

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自分の可能性に蓋をしようとしないで欲しい。保育園の時分は、お遊戯にしても木琴にしても、「誰が一番上手なん?」と聞くと、即座に「アイちゃん!」と返ってきた。

 

今はその頃の赤ちゃんのような笑顔も、もちろん少なくなった。朝、学校へ出掛ける時も、普通に、どちらかと言えばボソッと「行ってきます」というだけ。成長と言えばその通りだろう。

 

それを見てふと思う。

 

僕もきっとあんな顔で出掛けてる…。

 

イカン!イカン!

 

自分自身が、夢と希望と自信にあふれていないのだ。

 

イカン、いい言葉といい笑顔を振り撒かないと…。いつか自分でそう決めた。