僕の魂が海を渡って行ったり来たりする物語

小豆島から大阪へ流れ着きました

拭い去れない、でもシミじゃない、キズでもない。魂についた模様。

通知票発見!

自分の親は歳をとらない、と信じたいのはよく分かります。でも確実にその時は近付きます。
 
実家を少しだけ「年寄り仕様」にリフォームすべく、今大規模掃除作戦敢行中です。そんな中、母が僕の小学生の頃の通知票を発見しました。
 
それを見返した母の言葉。「勉強は出来てたワ。大体Aやった。けど、言われた事はするけどそれ以外の事はせん、て書いてた。それと、体育が全然アカン。」
 
今さら何をそんなこと…。もう分かってる、って!
 
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恨み節を書こうというのではありません。親の影響はとてつもなく大きい筈だ、と言いたいのです。
 

恨んでないよ、でも忘れない

母は、まず子供を褒めません。「◯◯ちゃんはよく出来る」「☆△ちゃんはすごい」「それに比べてあんたは…ダメ。」奮起を促すつもりだったのでしょう。しかし、図らずも最後の「あんたはダメ」だけがシッカリと刷り込まれる結果に。
 
こうして、創造性も行動力もない、身体を動かすのが苦手な、どうもサマにならない子供を作り上げていきます。
 
その子供のココロの底には、いつも有ります、その言葉が…。
 
「俺なんか、何してもアカン。うまく行かん。」
 
普段から意識している訳ではありません。でも、肝心な時に必ず顔を出します。
 
「俺はアカン。何してもアカン。
 

何度でもリスタートするぞ

僕は成人する前後くらいの時期から、学校へも行かず、仕事もしてるのかしてないのか?という、今でいうニートのような事を、何度か繰り返しました。
 
今は、お陰様で、結婚もして子供にも恵まれています。世間的には普通のお父さんっぽく過ごしています。
 
でも、やはりハートは変わりません。どこか燃えていないのです。たとえば気に入らない事があったら、打破すべく一歩を踏み出し、挑戦の足跡を刻む覚悟に欠けているのです。
 
「どうせ俺はアカン。そう、アカンに決まってる。」
 

アカン自分の終焉は近い

セミナーに出たり、本を貪り読んだり、アカン自分を葬り去るための方策を探る毎日です。
 
でも、分かりつつある感覚がするんです。とにかく行動せよ、ということが…。知識として、そうらしいというのではなく、肌に染み込みつつある感覚。身体が覚え始めているのか?
 
幸い、僕には夢があります。こうなりたい自分像があります。
 
別にカッコ良くなくてもいいんです。くすぶっているのではなく、燃え盛った毎日を送るお父ちゃんの姿を見せる事こそが、僕が愛する家族に贈りたい、唯一のメッセージなのです。
 
想いをカタチにしていく過程は、想像以上に険しいでしょう。だから、それを目指すエネルギーを僕に注いでくれる、妻、子供たち、そして勿論、僕を産み育ててくれた両親に感謝します。
 
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