「のんびり出来たら快適」ってわけでもないらしい 〜脳は思った以上に貪欲〜
「快適」って何でしょう?
したい事をしましょうとか、好きなことだけすればいいなんて聞くと、とにかくダラーっと怠惰に暮らすイメージを持つ人もいるかも知れない。
でも、普通なら、ダラーっとしてたってちっとも満たされないのだ。そんなことくらい誰でも経験済みだろう。
時間を忘れるくらい、あることにのめり込んでいるのが一番満たされた状態なのだ。「満たされている」とは、脳が喜んでいる状態で、案外休息を望んでいない臓器なのかもしれない。常に好奇心満載で、外に向かってアンテナを張りまくっているようだ。
ルーチンワークはダメ
平常心を保つためのルーチンワークは、どちらかと言うと、スポーツの場面などで推奨される向きがある。でも、脳の成長という観点からすると、あまりお勧めでもないということになる。
そうか、どんどん日常ではないことを取り入れていく必要があるんだ。
年齢のせいにしたくはないが、毎日同じような作業が続けば楽で、心の安寧が手っ取り早く得られる気がする。それは「守りに入った」に過ぎない。
自分の限界を少しだけ超えて、常に全力プラスアルファを目指すことが、長い目で見た時、明るい将来を予感させてくれる。
さあ、何を始めようか
楽器、未知の言語、トライアスロン、人前でのパフォーマンス。どれもハードルが高すぎる。
これをこのまま受け入れるかどうかは別にして、何が自分の心を揺さぶるのか、よく考えてみる余地はありそうだ。
そう、今年の目標は「熱く!楽しく!」だ。
行動量を増やして、「どうせダメだよ」という悪魔の声を封じるのだ。そんなものが入り込む隙を与えないのだ。
闇雲にぶっ飛ばして疲弊しないように、心を整えることも同時進行していくことを、肝に銘じよう。
働き方を柔軟に変えて固着思考を脱する 〜鉄人金本を目指すだけではダメだ〜
子供の頃度々聞かされた母親の言い付けは、その後の人格形成・生き方を決定する大きな要素となり得る。
僕の場合の、それは何だろう?
いろいろあるが、決定的なものの一つが、「学校には這ってでも行け!」だ。
休まない美徳
休まないことを美徳とする考え方は、現代では受け入れられにくいものに変わってきた。有給休暇だって何だって、使わなきゃ損だし、労働時間が少ないことこそ、最高の善なのである。
昭和にどっぷり浸かった僕の世代には、頭では分かっているつもりでも、まだどこかで「でもね…」と口を挟みたくなるところが、正直残っている。
特に、まだその仕事に就いて日が浅い場合などは、「休まない」「ちゃんと時間通りそこに居る」ということ以外に、周りにアピールできるポイントがない。そこから信頼感を得ていかないと、使ってもらえないのだ。
もうたぶん時効だから、正直言おう。前の職場で働き始めてすぐの頃。僕は全身のだるさと高熱を押して出勤した。しんどそうにしている、と感じた人も居ただろう。でも絶対にそのことは口にしなかった。「新人のくせに休みやがった」と思われるのが嫌だった。第一、余剰人員はいない。簡単に穴を開けられる状況ではなかった。
間違いなくインフルエンザだったと思う。働いていたのは、医療機関だ。これ、下手をすりゃ〝殺人未遂〟ではなかろうか?
僕は、鉄人金本を目指していたんだ。つべこべ言わずに、続けることで道は開ける。苦しいのは当たり前、でも続けたらいい事が待っている。そう信じていた。
僕はその後、その職場で6年ほどを過ごすことになる。おかげで、「休まない人」という称号を獲得できたと自負している。
決定的に違うところ
ところが、鉄人金本と僕には決定的に違うところがあった。
向こうは、タイガースの4番を張る逸材であったこと、僕は代わりをいくらでも立てられる〝その他大勢〟に過ぎなかったこと。
それを証拠に、人的にやや満たされた状況が生まれると、僕の待遇に変化が起きた。具体的に給料が減ったとかではないが、冷たくなったように感じた。
僕には、「苦しい時を支えたのは自分だ」という思いもあって譲れなかったが、経営サイドから見れば、過去の実績よりも今後の可能性に投資するのは当然だ。
僕は、だんだんとやる気を失くしていった。そう、やる気を失っては、どうしようもない。ちょっとしたギャップが、大きな溝に変わっていくのにそう時間は掛からなかった。
力を注ぐべき場所
鉄人金本を目指すこと自体に、間違いはなかったと思う。でも、頑張れば良いことが起きる、というのは迷信だ。ただ頑張ればいいというものではない。
ただ盲目的に一点突破を目指だけでなく、マルチな視線を持って、自分自身を監視しなければならない。基準になるのは、もちろん、「ワクワクするか?」「楽しいか?」である。
将来の圧倒的ビジョン無くして、全力疾走が出来ようか?目的地がどこなのか、どれくらい離れているのか、が分からないままでは走れまい。
未だ、確固たるそれがないままであることに愕然とする。朧げながら浮かびそうになるその芽を、理由なく阻害しようとする力が、しつこく頭の中にこびり付いている。
どうしたことか?いやこれでいいのだ
本当は、どこにも邪魔するものなど存在しない。自分で思い込んでいるだけだ。圧倒的ビジョンをより明確にすることだけに傾倒すればいい。
このところ身体の調子が悪い。寒さにはめっきり弱くなった。思うように動けないのだ。でも、無理をすれば絶対に仕事はできる。これまでの自分なら、絶対にそうしていた。
でも、あっけなく休んだ。どうしたことか?職場は変わったが、相変わらずの心理状態であることは哀しい。現状とビジョンの間に繋がりを欠いている。
「俺、このまま没落するのか?」
そんなこと、あるわけがない。胸の中の濁りを、徹底的にあぶり出さないと先に進めないではないか。
僕が休むことで、職場が回らなくなっているとしたら、それは僕の責任ではなくて、危機管理を怠った経営者が悪いのだ。
それくらいでいい。こちらは、50年も凝り固まってきた思考を、大きく変化させたいと思っているんだ。
そして、どこまでも自分に素直に生きようとしているんだ。
パールイズミの極寒仕様タイツで超快適
自転車乗りにとって、寒さは大敵だ。
体が冷えて動きが鈍ってしまっては危険だし、集中力も途切れがち。そもそも出かけるのさえ嫌になってしまう。
50を超えて、めっきり寒さに弱くなった自覚のある身には、特に防寒対策が重要になってきた。
機能性を重視するなら自転車専用を
防寒対策と言っても、基本は重ね着するだけだ、と思っているなら、ちょっと気をつけた方が良い。スポーツの種目によって求められる機能は違ってくる。
例えば、暖かいには違いないが、かさ張るスノーボードのウェアで自転車に乗るのは辛いだろう。
自転車に適していて、最高の暖かさも両立したい。ここは、専用グッズに頼った方が良さそうだ。
高品質のパールイズミで決まり
〝安物買いの銭失い〟を避けるには、最初からちょっと頑張って奮発した方がいいかも…。 何かと評判のいい、パールイズミの一点買いで探してみた。
パールイズミの冬用商品ラインナップを見ると、対応気温別になっている。一番低温の0℃対応のものから選ぶことにした。「大は小を兼ねる」のだ。
必然的に候補はこれに絞られた。
ウインドブレークサーモタイツ 6700−3DNP
(パールイズミ)PEARL IZUMI 6700-3DNP サイクル ロングタイツ [メンズ]
- 出版社/メーカー: PEARL IZUMI
- 発売日: 2015/10/07
- メディア: ウェア&シューズ
- この商品を含むブログを見る
自転車専用なので、ライディングフォームに適応した立体成型で、乗りやすい。その点、申し分ない。
一番重視すべき防寒性は、前面がウインドブレーク素材とフリースの二重構造になっていて、完璧だ。ただ、足首周りはそれがやや薄い。長めのソックスに頼った方がいいかも知れない。
自転車を降りた時に、後面が寒いのでは?と思ったが、実際にはそうでもなく気にならなかった。
パッドは、ロングライドでもそれほどお尻が痛いと思わずに済んだ。そのあたりは、乗り方の上手い下手の問題も大いに含んでいると思われるので、なんとも言えない。
各所に、再帰反射が施されていて、夜間の安全性は高いだろう。ロードバイクに乗り始めた頃、反射素材を使ったベルトを足首に巻いて走ったこともあったが、こんなちょっとした物でも、結構邪魔に感じた。極力身軽になるという意味でも、重宝する。
裾がトレンカふうに、足に引っ掛けるようになっているので、足首が露出することがない。ここが少しでも開いていたら、それはそれは一大事なのだ。
ただ、その引っ掛けて足の裏に当たる部分が薄いので、使い込むうちにほつれて破れてしまった、ということになりはしないかと懸念する。その他の部分は、全体に厚みがあって頑丈そうなだけに、もしそうなったら、テンション急降下間違いなしだ。
決して安い買い物ではない。しかし、これだけの機能が詰め込まれている。妥当ではないだろうか。
何よりも、「寒くても走りたい」という気持ちが高まってくる。
そうそう、お金は、幸せが何倍にも膨らんで返ってくることに使った方が良い。そこを基準にしさえすれば、間違いないだろう。
道を極められるのは、心が伴うからこそ 〜ふさわしい人になるために〜
少4の娘は、書道を習っている。
年末の夕暮れに教室までお迎えに行ったら、書き初めならぬ〝書き納め〟をやっていた。そして、先生に声を掛けられた。
「お父さんも書いていって下さい」
「はぁ〜??」
何を言い出すのだ、この人は。
昔取った杵柄?
まあ確かに、小学生の頃は僕も習っていた。しかし、もう何十年も、筆なんて持ったこともない。しかも、当時だって決して上手かったわけではない。
結果は目に見えている。やめた方がいい。
ところが、なぜか椅子にかける羽目になった。
お題は、「平和」である。
お手本を凝視する。ゆっくりと筆を進める。こんな緊張感を、昔も経験したことを思い出す。
書けた。
思いの外、上出来だった。先生が、「習ってましたね?」と言ってくれた。
確かに習っていた。でも毎週イヤイヤながら通っていた。半紙10枚のノルマが、なかなかクリア出来なかった。
技術は確実に落ちているはずなのに、そこそこに纏まったのはなぜだろう。それは、心持ちが変わったからではなかろうか。
こんな僕でも、様々に経験を積んできた。筆で字を書くというただの作業に、肉付きをもたらすのは、人としての成熟であるのかも知れない。僕が成熟しているだなんて、胸を張って言えたもんではないが、そんな気がする。昔取った杵柄、ってことでは収まらない。
▲左が僕の作品 右は娘の作品
整える
書道に限らない。ココロを鎮めて一心に打ち込む時間が、穏やかな癒しをくれるのは自明だ。要するに、身の周りと、その内側をキレイに整えておいた方が良いという話なのだ。すべての基本。無い、ってわけにはいかない。
大波に翻弄されるように揺れ動く、我が心の浅はかさを省みつつ、子供の頃に刻まれた、墨の匂いの記憶に、少なからず懐かしさも覚えた。
今村岳司市長に超賛同 〜目指すは、熱い!楽しい!〜
何をチャラいこと言うてまんねん!
昨年末、〝武勇伝市長〟として物議を醸した、兵庫県西宮市長の今村岳司氏であるが、この手の兄ちゃんは苦手というか、嫌いなのだ。
頭が良いのだろう。良い頃合いに注目を集める術を心得ておられる。「炎上商法」と同じだ。
おっしゃることは、目くじらを立てるほどのことでもないのでどうでもいいが、彼よりも少しだけ年長者であるがゆえ、上から目線の発言をこの場では許していただきたい。
「おふざけが過ぎますよ!」
熱いヤツ望む
でも、ただのチャラい兄ちゃんでも無さそうな匂いが漂ってきた。
1月の成人式での、新成人に向けた祝辞が拡散している。見ると、毎年似たような内容を続けておられるようだ。
それでいい。事務方が適当に書いた、通り一遍の文章を読んでいるだけではないことはすぐ分かる。充分に熱い。
熱を持って思いを伝えることが、やがて人のココロを動かしていくのだ。
引用させていただく。
新成人の皆さん、おめでとうございます。
さて、新成人の皆さんは、世間では「まだ若い」と扱われがちです。
ですから、年上の人からのアドバイスを聞かされることになります。
それは、もちろんみなさんのへの愛からくるモノではありますが、
ハタチのみなさんが大事にすべきことは、年上の人のアドバイスではありません。
それはどういうことか。
たとえば、年上の人たちが「無理だ・やめておけ」と言ったりします。
その人は、あなたがその挑戦に破れて失敗すること、
そして、その失敗があなたを大きく傷つけることを心配して
そう言ってくれているのです。
あなたへの愛ゆえにです。
彼は彼の経験上、あなたの挑戦が失敗に終わると思っているのです。
でも、その人が「無理だ」と言うのは「その人にとって無理」だっただけで、
あなたには可能かもしれません。
その人の限界より、あなたの限界がもっと遠いところにある可能性はじゅうぶんにあります。
また、たとえその人の言うように、あなたが失敗したとしても、
その失敗したところから、次の挑戦をすればよいだけの話です。
失敗して、傷ついて、だいじなものを失って、そして、そこからどうするのかこそが、
あたらしい価値を生み出せるかどうかなのです。
経験に基づく先人の言葉が価値を持つことも、ときにはありますが、
彼らの言葉に束縛されることなく、自らで判断し、新しい価値を創造することのほうが重要です。
自分で決断し、自分で挑戦し、自分で失敗し、自分で這い上がり、自分で限界を超え、自分で常識を疑い、
自分で新しい価値を創造し、自分で恋をし、自分で血と汗を流し、自分で幸せをつかむ、
そういう自由と責任があるんだという希望を、きょう成人式で新たにしてもらいたいと思います。
私の親は戦争の最中に生まれた世代です。
彼らはぼろぼろの日本がどうやって立ち上がるのか、ということを考えている日本に生まれ、育った人間たちです。
私は高度経済成長期に生まれた世代です。
私たちは右肩上がりに成長して先進国に仲間入りしたい、ということを考えている発展途上の日本に生まれ、育った人間です。
一方のみなさんは、とっくに文化的に先進国となった日本に生まれた世代です。
私の親の世代や、私の世代が幸せだと思ってきたものと、みなさんが幸せだと思うべきものは変わっています。
全く別モノです。
私の親の世代や私の世代が幸せになるために必要だと思ってきたものと、みなさんが幸せになるために必要なものは変わっています。
私の親の世代は、安定していることや物質的に充足していることを幸せとして求めました。それは、
社会が安定していなかったし、物質的に充足していなかったからです。
一部充足している人が幸せに見えたから、それをめざしたのです。
でも、日本の治安はよくなり、物質的にも充足しました。
もはやそれを競うことが幸せとは言えなくなっています。
他の人よりちょっと高級な車や服を持つことがそんなに大事なのか、みなさんはアタマを傾げることでしょう。
私を含む年長者たちが育つときに大切にされてきたものと、みなさんが大切にすべきものはいっしょではないのです。
空気を読んで、和を乱さずに、言われたことをきちんとやる。
四の五の考えずに繰り返し同じことをやり続けることが成功に繋がる。
そういったことが何より重視された時代もありました。
そしてそれによって確かに日本は焼け野原から先進国に辿り着きました。
しかし、いま大切にされるべきものは、ほんとうにそうでしょうか。
いまのみなさんに必要なのは、焼け野原から先進国に成り上がることではありません。
これまで重視されてきた価値観に遵うことは、必ずしもみなさんの求める達成や幸せを勝ち取ることに繋がるとはいえません。
それに、彼らの考える幸せが前提としていたような、
年功序列の給料や、払ったより余分にもらえる社会保障制度は、もはやありません。
彼らの価値観に遵って生きていっても、彼らが定義した幸せを手に入れるかどうかすら怪しいでしょう。
みなさんは、文明的に先進国になり、社会的に成熟した日本で大人になったのです。
この日本でどんな価値を生み出し、どんな幸せを生きるのかは、自分で考えなければいけません。
指示を待たず、自分のあたまで考える。
既存の価値観を疑い、新しい価値に挑戦する。
それがみなさんに求められていることなのです。
私の尊敬する友人で、元サッカー韓国代表のJリーガーである指導者がいます。
彼は、「オトナが過剰に教えようとすると上手くならない」と言います。
「パスを待つな!もらいにいけ!」「ボールを取られたら取り返せ!」
日本には、試合中、ずっと怒鳴りっぱなしの指導者がたくさんいます。
でも、こういう指導者に育てられる選手は、
指導者の指示に反応して動きますから、指示なしには動けなくなります。
また、怒られることを恐れてチャレンジできなくなります。
そもそも、怒鳴られながらサッカーをするなんて楽しくありません。
いっぽう、育成大国と言われるベルギーでは、
試合中に指導者や保護者が指示を出せば即退場という規則だそうです。
オトナのやってほしいサッカーを押しつけて、彼らの芽を摘むのではなく、
自分で考えてサッカーを楽しむ選手を育てようと考えているからなのです。
ベルギーでサッカーをする子供たちに求められていることは、
規範に遵うことや、練習で習ったことを正確に実現することや、指導者に従順であることではなく、
自分で考えること、挑戦すること、サッカーを楽しもうとすることなのです。
いまの日本のサッカーの指導者たちは、もしかしたら指示されて怒鳴られて、強くなったのかもしれません。
でもいまのサッカー選手たちもほんとうにそうなのでしょうか。
日本のサッカー少年たちが自分で考えてサッカーを楽しむようになれば、
その世代がトップレベルの選手になるその10年後に、
日本のサッカーはW杯で世界を驚かせることになるでしょう。
何を自分の幸せと定義するのか。
自分はどんな考えかたに遵ってこれから社会で動いていくのか。
それを自分で考えること、それこそがオトナになるということです。
私には創れない西宮を、私には創れない日本を、私には創れない世界を、
みなさんには創ってもらいたいですし、
私には想像できない幸せで、人生を彩って欲しいと思います。
みなさんが、これまでの人たちには無理だったことに挑戦し、
新しい価値を創造できなければ、社会は発展しません。
みなさんは、
私たちの世代に発明できなかったものを発明し、
私たちの世代に救えなかった人を救い、
私たちの世代が実現できなかった夢を実現する人たちです。みなさまの若さに対して、最上級の敬意を表すことで、
私の式辞とさせていただきたいと思います。
あらためまして、本日は誠におめでとうございます。
人のせいにばかりしない
例えば高校時代の先生に、熱いメッセージを投げかけてくれる人は居なかった。「お前は、パッとせん奴やなぁ…」と毎日言われている気分だった。もちろん、実際はそんな仕打ちにはあっていないが、自分はダメな人間だと決め付けていた。
熱は確実に伝播する。熱い市長の言葉を聞けた新成人の中には、ものすごい勇気を得た人も居るだろう。
最初はもっぱら他力本願でも良いのだ。熱い人からどんどん熱を奪ってやるつもりでいよう。そのうち自分が「熱源」に変わっていくかも知れない。
人のせいばかりにせず、自分で切り開いていくのに必要なのは、〝熱さ〟なんだ。どうせなら、鬱陶しいと思われるほど熱くなってやるぜ。
オジさんでも、燃えカスになってはいないので、覚悟しておきな!
たった一度だけ乗った六甲丸 〜エンジン音が濃縮された記憶を呼び起こす〜
小豆島の三都の東海岸からは、沖を行き来する大型船がよく見える。
子供の頃、ひと際へんな形のジャンボフェリーは、大いに僕の興味を引いた。
世界最大だったのか
世界最大の双胴船、「六甲丸」と「生駒丸」である。昭和44年就航のこの船が、神戸とか高松とか、少し華やいだ都会の空気を感じさせてくれていたように思う。
小豆島に寄港したことは、一度もないはずだ。
その船に乗るチャンスが、後にも先にも一度だけあった。叔母が高松に嫁入りすることになったので、家財道具を軽トラに積んで運んだのだ。叔母は当時大阪で一緒に暮らしていた。
父が運転する車の助手席で、小学5年生の僕は、かなりワクワクしていた。初めて六甲丸に乗れるのだ。
今と同じで、夜中の第一便は神戸を午前1時頃に出ていた。高松着は5時頃ということになる。今と違うのは、神戸の乗り場が「東神戸フェリーセンター」だったこと。一般的には「青木(おおぎ)埠頭」と呼ばれていたと記憶する。現在、跡地が「サンシャインワーフ神戸」となっている場所である。
大きく開いた口から、荷物満載の小さな軽トラで乗り込んだ。入った瞬間に、異様に広い横幅にびっくりした。双胴船は幅広の船体を作りやすいとは思うが、それにしてもデカかった。全長83メートルに対して、全幅が25メートルもあったという。「飛鳥Ⅱ」が全長241メートル、全幅29メートルとなっているので、その特異さが分かろう。上から見れば、ほとんど下駄のようだ。
懐かしく狂おしい
客席に入ると、これでもかと言うくらいに冷房が効いて寒かった。周りはトラック運転手が多かったと見えて、そのへんの準備も手馴れたものだ。毛布を持参して寝ている人が目立った。
明け方直前に小豆島の島影が見えて、車のライトがすぐ目の前を過ぎるようだった。父は、「あれがトンネルやね」と言った。三都の大嶽洞門の照明が、オレンジ色に鈍く光っていた。
ほとんどこれくらいしか覚えていない。これが全てだ。
僕は、家族に海に守られていた。愛情をいっぱい受けていた。だから、こんな何でもない記憶が、たまらなく狂おしいほどの郷愁を誘う。
その後、ことさら僕を可愛がってくれた叔母は若くして亡くなった。父は認知症の老人となっている。楽しい記憶が、年月とともにその色合いを変えていく。
だからジャンボフェリーの深夜便は、今でも僕の胸に少しだけ突き刺さるのだ。静かで真っ黒な海が、時に悲しい。
剥ぎ取られていく
ウィキペディアによると、1990年に引退して海外売船された六甲丸は、今から20年前の97年に、プーケット沖で沈没したらしい。現在も沈船のままで、ダイビングスポットになっている、とある。
えっ?それって何だかジワジワくる感じが、かなりショック。古い友達が、実は数年前に亡くなっていました、って後から聞くような感じ。
そういえば「さんふらわあ11」も、フィリピンで沈んでいるし、華やかなデビューにふさわしくない最期を迎えるのを聞くのは、甚だ忍びない。
図解・船の科学―超高速船・超巨大船のメカニズム (ブルーバックス)
- 作者: 池田良穂
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/12/21
- メディア: 新書
- クリック: 8回
- この商品を含むブログ (8件) を見る
ジャンボフェリーの夜行便は多少の覚悟を要します
今なら高速道路だって新幹線だってある。大阪から小豆島へ行くのに、随分と便利になったことは否定しないが、それでも充分半日は見ておかないといけない。
そんな時、ジャンボフェリーの夜行便は重宝する。寝ている間に着くのは、時間的無駄を省きたいという考えと、しっかり合致するのだ。しかも、どこかで一泊することを思えばメチャクチャ安い。しかしながら、良いことばかりでもないのだ。ちょっと問題点も挙げておこう。
三宮から徒歩圏内
その夜行便だが、神戸三宮フェリーターミナルを夜中の1時発、高松を経由して小豆島坂手に7時過ぎ着という具合になっている。
料金は、大人一人が繁忙期で¥2,600ほど。普通車なら¥7,000弱。料金もダイヤも、時期によって多少の変動がある。燃油サーチャージが付くこともあるので、その都度確認することをお勧めする。
フェリーターミナルまでは、鉄道各線の三宮駅から歩いて行ける。20分ほどなので、荷物が重くなければ苦ではないだろう。でも、遅い時間は、特に女性はバスを使った方が安心できる。海が近づくと人通りは少ない。
週末は要注意
「安い」というところにも起因するが、特に週末は混んでいる。
昨年10月の3連休が始まる前夜。かなり余裕を持って行ったつもりだったが、出港1時間以上前から、待合ロビーをグルっと人の輪が取り巻いていた。
以前にも書いたが、ジャンボフェリーの「りつりん2」「こんぴら2」の両船、車の積載能力に対して、客室の広さ、客席数が不足している。
客室の床に譲り合って雑魚寝なら、まだ仕方ない。でも、通路にまで溢れてしまうのはどうだろう。それを見越してゴザを用意してあるところが、親切なのか改善放棄なのか、よくわからない。
繁忙期と閑散期の差が大きいのだろうと想像できるが、根深い問題だと思う。
乗客の年齢層は、かなり若い。この辺にも、体力的にはあまり優しくないことが窺える。
まだ寝たいのに起こされる
神戸から小豆島へ行くなら、はっきり言って高松はどうでもいい。だから、7時直前まで寝ていたい。でも起こされる。高松寄港の際に「起きなさい〜!」と音楽が鳴るのだ。
睡眠4時間ではさすがに辛い。高松停泊1時間と、高松→小豆島の1時間がプラス出来たら随分と楽なのに。やや朦朧とする頭とは裏腹に、いったん目が冴えてしまってはなかなか戻らない。
バスがなぁ…
徒歩で下船した場合の、小豆島オリーブバスとの連絡も何とかならないものか。早朝に降ろされて、バスは来ないお店も開いてない、では、観光地としては評価対象にもならない。
港至近の「ei CAFE」は通年営業ではないし、「大阪屋」もこんな時間はもちろんやってない。痛恨の失態。
話は戻ります
僕の場合は船が大好きだし、ホントは全然大した問題ではない。だから、少しだけ体力に余裕があって財布に余裕がない時なら、これからも迷わずジャンボフェリーを選択するだろう。
三宮からフェリーに連絡するバスが出ているが、夜行便連絡バスだけは乗り場が違うので、要注意。
昼の便は、阪神電車の「神戸三宮」東出口直結の、「ミント神戸」のバス乗り場から出ている。夜行便の時間にはそこが閉まってしまうので、三宮交差点の歩道橋の軒下にある停留所に変更となっている。市バスも含めて、周辺にはバス乗り場が多数配置されているのでややこしい。
バスの料金は¥210。タダではないです。悪しからず。
▲昼間はミント神戸の6番のりばから
▲JRからそごうへ向かう歩道橋の軒下へ降りると…
▲駅前ロータリーの横に歩道へ降りる「出口」が…
▲バス停発見!